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今日の夕飯のメニューを母親に質問してみよう。 「・・・魚の煮付け」 さて、君はどう感じるだろうか。 「やれやれ」と思うなら若者だろう。「ふふふ」と喜ぶなら年寄りか酒飲みだろう。「別に」という味盲の人は無視ね。 僕も昔は若者だった。 楽しみにしてやまない夕飯のメインが煮付け。しかも魚。たんぱく質と言えば肉でしょうが、肉。なんですか煮物って。どうせ、カレイとかサワラとか。ヌラっとしていてベタベタしてて、変に甘いし。 あーあ、今日っていう1日は台無しだよッ、ママのせいでッ! しかし時は流れ、若者は必ず大人になる。 または酒飲みになる。どっちにもならなかった人は、無視ね。すると、煮物、とりわけ魚の煮物はあらまほしきメニューに変わる。僕の場合は30歳あたりを境にして「煮付け、いいねえ」となった。 煮物の難関は魚である。 ポイントは煮過ぎないこと。これにつきる。 和食の世界で「煮物を見ていますので」という表現がある。西洋料理と違って長時間煮込むことを前提としないからこそ、このフレーズが好まれる。煮物を見ている人は本当は何かを知っている。この人物のみが知りえる事実が物語やドラマを進行させるのだが、黙して語らず。煮物を見ているからだ。 煮汁の量は意外に少ない。 おおむね、切り身が半分漬かる程度でいい。分量としては「しょう油1、水1、酒2、みりん2」と覚えておけば、適当でよい。いつものように酒のつまみを想定しているため、以下のレシピでは濃い味になる。しょう油を減らして対応すること。なお、素人は砂糖を使わないほうが良い(砂糖を上手に使うのは難しいのだ)。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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煮汁が煮立ってから魚を入れる。 こうすると煮崩れがおこりにくい。「煮立つ」というのは沸騰ではなく、気泡がフツフツと上がってくる時点のこと。 鍋は直径20センチ程度のもので2人前までカバーできる。 落し蓋がない人は、小皿で代用する。 煮汁が浸っていない上部に汁を回すもの(←重要)なので、タダの蓋を使っても無意味。 5の引っくり返した時点では「えー、まだ生っぽい!」と思うが大丈夫。 上記のように、裏面が煮汁に浸っているあいだに火が通る。 さらに、初心者は6の落し蓋を取った時点でも「えー、これでもまだ生っぽい!」と思うが、やはり大丈夫。煮すぎないのがポイントだと自分に言い聞かせること。 最後に、魚のわきに余っている煮汁をかけることで火が通る。このとき、オタマで汁をすくうのが難しいなら、スプーンを使うべし。 さあ、装飾の少ないシンプルな皿に盛り付けよう。 ほどよく煮えた魚が甘い香りを発する。みりんとショウユがためだ。香気が立ち上る、という言葉がこれほど似つかわしい瞬間はそうはない。なお、ショウガは食べられるのでアクセントとして魚の上に載せると美しい。あなたは言いたくなる。 「煮物を見ていますので」 もう出来上がってるじゃん、などと言った家族には食わせなくてよろしい。 追記;魚は何でも旨い。高価だがキンキ丸ごと1匹がベスト。キンメダイが次善で、タイが横に並ぶ。カサゴやスズキや銀ダラもまた良い。丸ごと1匹の場合は、内臓を取るなどの下処理を店でやってくれることが多い。 |
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