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またも飲んだくれ講師Bにつかまった。わたしとしては素早く帰宅してG8の進展具合などを研究したいのだが、有能な人間の足を引っ張る愚民もいるのでしょうがない。
しかし飲んだくれ講師Bは決して馬鹿ではない。わたしは数学が全くできないので(1次方程式までなら完璧である、はずだ)。話題は英語にふることにする。Bは女性あるいはシタのほうのネタに振りたいようだが、わたしは人間の尊厳にかけてそれを許さない。
主な話題は「仮定法はなぜわかりにくいと思う生徒様がいるのか」「なぜに時と条件の副詞節は現在形で未来を代用するのか」に終始する(=それだけで話がつきないこと)。Bは酒と女性のことしか考えられないふりをしているが、またそのかたわらで英語の辞書を読んで文法を研究するのが趣味らしい。こういうのをヘンタイと言うのだが、それはともかくここで受験生の皆様に質問したい。
「仮定法は辞書で何をひけば説明が出てくるのか?」
Bによれば、それは何と「be」であるという。もちろんこれは正解の一部であって全てではない。しかしわたしが驚愕(きょうがく=ビビること)したのは辞書なぞでそんなことを調べる(ようとする)精神構造である。試みに「解の公式」を広辞苑で調べてみたのだが、そんな項目は見出し語にすらない。秀才(=講師B)とハンサム(わたし)の差はここにあるのだろう。全くもって不愉快な飲み会である。
しょうがないので講師Bの生い立ちを質問する。するとこんな答えが帰ってくる。
「マイナスの概念なんて小学生の低学年で理解できました」
言っておくが、引き算の概念ではない。マイナスという数字の概念そのものを理解できたというのである。わたしはその年齢のときに石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を練習するのに忙しかったというのに、なんという差であろうか。
わたしは正直に「負けた」と思う。また同時に「数学で負けてもハンサムなのは俺のほうだ」と思う。数学の講師って、マジですごいんですね。顔は別としても。
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