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文脈で捕らえる知性 |
8月28日 |
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予備校講師とは nut (名詞:変わり者←入試では出ません)であるべきだ、
という恐ろしい鉄則を持っている。
これを実践しようと授業で「この問題を間違えたヤツは、×ね」というと、
父兄から苦情の電話がかかってくる。あまりにもしつこいので偉い人に注意さ
れたから、最近は控えるようにしている(イキオイで言っちゃったりするけど
)。
話は日記から少しズレるが、文末を「島流し!」にすると苦情は来ないのだ
ろうか。
正解は「一切来ない」のだ。
「島流し」とは昔の刑罰の1つで、要するに「その場で死んでもらうわけほ
どの罪じゃないけど、とんでもない離島で死んだも同然の人生を送ってくださ
い」ということである。日本にとっての佐渡島、イギリスにとってのオースト
ラリアなどがその例である。
では、「この問題ができなかった人は終わってます」と言うとどうなるか。
これがなんと苦情が来るのだ(笑)。「うちの子供は勉強を習いに行っている
のに、なぜできないことを責められなければいけないのか!」ということだ。
1つハッキリしていることは、この手の苦情を持ってくる人は「文脈読みの
技量が全くない」ということである。筒井康隆ではないけれど、個々の言葉は
文脈の中でしか意味を持たない。つまり「×ね」だろうが「島流し」だろうが
「終わってます」だろうが、伝えている内容は1つしかない。
このページの読者なら、その含意( implication ←入試に出ます)はわかる
はずだ。これはクリアできる問題であり、するべき問題であり、きっとクリアできたはずだという期待の言葉だってことを。
そこにある含意がわからない(その能力もないし、わかろうとする意欲もな
い)大人が増えている。駒大苫×牧の「うちの息子が体罰を受けた!」などと
いうのも同じような例であろう。運動部において、スリッパで殴られる、平手
打ちをされる、それがどういう文脈の中でなされたかを一切考慮することなく
(思考放棄の典型だ)大騒ぎする。
世間も世間で、「体罰はいけない」の正論(それはまあそうだよな、どう見
ても)ばかりを紹介し、体罰をする鬼教師みたいな捕らえ方をする。世界が少
しずつ幼稚になっている。
(追記:この問題は体育会系運動部における「指導」が「体罰」としか捕らえ
られない程度までしか、部員と部長のあいだに人間関係が育たなかったことに
悲しさや問題点があると思うんだけどね)
閑話休題。さてさて本日の問題発言。
1、「この問題で allow を選んだ人は知×障害者ですよ。動詞の空欄は和訳じ
ゃなくて動詞の語法で入れる、これがルールだったよなッ!? あ、もちろん
この発言は受験の世界においてだけね」
2、「 between の後ろには A and B か名詞の複数形が来ます(←受験生は覚えま
しょう)。ユミコとカナエの違い。えーと、女の子のあいだの違い。イ×イロ
あります。あ、失言」
3、「具体例とは、抽象語に置き換えても読めます。そうですね、私は若い女
の子が好きだ。たとえば、宮崎あ×い、田中麗奈など。みなさんは『おい、信
原は(あのトシで)宮崎あおいとか好きなのかよッ』と私を笑いものにします
。見事に、具体と抽象を置き換えて文を理解するのです」
4、(質問に来た女の子が僕のヒゲを勝手にさわった後で)「お前なあ。君が
髪を伸ばしてきて、『やあ○○ちゃん、ステキな髪だね』とか言って×を撫で
たらセクハラになるだろうがッ!」
帰宅の電車の中で読書ができる。
>間抜けな教師は子どもの「自我」に話しかけるが、まともな教師は子どもの
「自我」を通して彼(彼女)の「主体」に届かせたいと願う。つまり、まぬけ
な教師は「私」は教師だと思っているが、まともな教師は「私」と「教師であ
る私」は違うものであることを知っている。
もちろん僕は教師ではなく予備校講師である。しかし、こういうことをきち
んと意識して子ども(生徒様)に接することが必要なんじゃないの、とも思う
。
そして生徒様は、こう思うんだろう。
「それにしても宮崎あおいはないでしょう・・・」
いーじゃん別に。フンだ。残りは8コマ。
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