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石を教育するがごとく |
12月15日 |
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校舎に着いたらBBQ数学講師Cがからんできた。
C「カテゴリー4なんですか?」
僕「腰痛か。レベル4ないし5。あれって震度と同じに設定してんだよね」
C「・・・(何じゃそら)」
僕「カテゴリーって何の言葉だっけ?」
C「アメリカのハリケーンとかじゃないすか」
僕「(けっ、グアム帰りの自慢話か)なんかさ、レベルって言ったほうが積み上
がってく感じでわかりやすいような気がするけどね」
C「カテゴリー( category )ってどういう意味すか?」
僕「範疇。広がりを持つ範囲みたいな。あ、アクセントは最初のキャ、だから」
C「(んなこと聞いてねえよ)対処する範囲が広いってことすかね」
僕「あー、そうだったのかあ」
つまり、レベルという「(痛みの)積み上げ」ではなく、影響が広がる範囲が
広がることで、対処する場面が増えるということである。
言われてみれば、腰痛がひどいと、
・朝寝をする(横になるのが一番)
・風呂でマッサージ(ふだんはやらない)
・常に独りマッサージ(ふだんもやってるが頻度増加)
などの対処範囲が増えている。おかげで少し賢くなった。Cもたまにはいいこと
言うねえ。
おととい(きのうのきのう)に続いて、1週間前実施の定例試験の1部を解か
せる。
あれだけ説教したから大丈夫だろうと思ったら、また結果は同じ。ボロボロ。
「嫌味を言ってもダメ。注意喚起してもダメ。怒ってもダメ。カンフェリーに注
意してもらってもダメ。復習しろと具体的に指導しても意味なし。同じ問題でも
、3千年やっても同じように解けない。進歩なし。人間じゃない。イヌネコにも
劣る。置物以下。がくしゅうしょうがい、ちゅういけっかんしょうがいどころか
、いきものとしてのしょうがい。でも、俺は金を貰ってるから一所懸命に授業をしま
す。しても全く意味ないし、それでも全員が大学には行けるだろうからそれでも
いいんだろうけど。あ、皆さんの志望のじゃなくて、とにかく大学と名前がついているやつ限定ね。自分の名前が漢字
で書ければ受かる大学ね(ウソ。これは言わなかった、言いたかったけど)。さ、意味のない授業をするために演習しようか」
ブチ切れしながら(授業は嫌味を混ぜながらもちゃんとやったぞ)講師室に戻
ってくれば日本史講師 I 先生がいらっしゃる。
いかにしてキレたかを愚痴る。
I 「明日も同じ問題やらせりゃいいんすよ」
僕「当然明日もできないだろーね」
I 「それは言うまでもないことであって(笑)」
僕「で、明日も同じ説教で、それも効き目がない(笑)」
I 「でも明日は最終日だから、説教されても逃げ切りだと思ってるんでしょ。半
永久的に繰り返しですね」
僕「あれ、みんなロシア人なのかな。日本語が通じてないのかもしれん」
最後の3コマ目も1コマ目と同じ講座。
いわゆる再放送である。もちろん、生徒様の結果も再放送で、説教も再放送で
ある。
「まあ、皆さんが人間じゃないと思えばこっちもラクですが」
またまたブチキレして戻ってくると、またまた I 先生。
I 「授業で(僕の2コマ目に相当。つまり僕の1コマ目の生徒様が何人か受講し
ているはず)話しましたよ」
僕「なんて言ったの?」
I 「まあどうせ落ちてからわかるんだろうと」
僕「それもわかんねーだろ、あの連中」
I 「ええ、もちろん。だから、『で、落ちてもなおかつわからない人もいるだろ
う』って」
僕「と、そこまで言っても」
I 「そうです。また明日も同じ問題をキッチリ間違える(大笑)」
僕「言うだけ、キレるだけムダだよな〜(笑)」
怒りという現象は、度を過ぎると笑いに変化するという。
ある事実から何かを学び取ることは、そんなに頻繁にあるものではない。加齢
するにつれて、そのチャンスが減っていくのは当然のことだ。
しかし、それでも何かを見つけようとして生きるから人間なんじゃないのかね
。他人に「あーしろ・こーしろ」なんて言ってもらえる時期なんて、そんなにな
いと思うんだけどね。まあ、僕としては笑うしかないわけで。
追記:昔のある同僚が「同じレベルのクラスにいる生徒には、同じことだけ(し
らばっくれて)話せばいいんですよ。どうせ覚えてないんだから」と言っていた
。そうかなあ?とその時の僕は思ったけど、今日の一件で「そうなんだろうな」
と思ってみたり(-.-)
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