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継続から何かが生まれる |
4月18日 |
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10時起床で11時前に朝食を取りに出る。
オムレツのハヤシライス添え。旨くもまずくもないというキッパリした味。
一般にメシの評価は「まあまあうまい」とか「ちょっとマズイ」みたいにマイナスかプラスのどちらかに針が振れるものなんだけど、今日のこいつは実に中庸。「普通」というラベルを貼って押入れに入れておけば、僕が死んだあとの(縁起でもないが)形見分けで遺族が不思議に思うだろう。
「なんでここまで普通のものを・・・」
下らない妄想はやめにして、CD屋で1枚購入。
モーツアルトを聴きはじめた話は書いたはずだが、ついに今日から聴き比べをしてみることになった。他人事みたいだけど。
音楽は同時に2つ聞けないので、まずは1枚のCDを耳に焼き付けるほど聴いておいた。
それはグルダというピアニストによる「K.537 戴冠式」というピアノ協奏曲である。何回くらい聴いたか? よくわからないが、ここ2ヶ月で60回程度。音楽は聴きこむことで良さを見出すのが僕の聴きかたなのだ。
今日ゲットしたのは同じ「戴冠式」でピアニストは内田光子。
グルダのほうが高名なはずだが、内田も負けずに高名なはずだ。たぶん。きっと。
メロディーはもちろん同じだが、とにかくピアノの部分だけ比較してみる。
今のところわかったのは以下の通り。
・グルダ
→高い空に突き抜ける音。はなやか。全体にフォルテ。
・内田
→優しい音。消え入りそう。全体に、えーと、フォルテじゃないほう(笑)。
とにかくクラシックそのものの知識が足りないので、こんな感想でもいいだろう。もっと勉強すれば楽しくなってくるはずだ。
予習などの日常を終えて千葉校へ。
帰りの電車で『モリログ・アカデミィ1』を読了。
ウェブ日記の文庫化。圧倒的に面白かった。今年のエッセイナンバーワン。
著者は某大学工学部の助教授にして作家らしい。プロの文章のすごみがある。当たり前のことなのに、「文章がいい」作家が少ないように思える今日この頃・・・というのは陳腐な表現だが、もちろんこの著者はこんな表現は使わない。
10月20日の日記「ネタは何故尽きるのか」から。
>(理由は)簡単である。ネタをストックするから、それが減ってしまって尽きるのである。溜め池が干上がるのと同じ原理だ。池は干上がるが、川はいつも水が流れている。いつも流れているものは、尽きない。
日記を毎日書くコツとは、つまり毎日必ず書くことである。溜めないことだ。ネタも溜めない。その場で考え、その場で思いついたことをすぐに書く。(中略)ネタをストックすると、思いつかなくても書けるが、そうしているとだんだん思いつけなくなる。つまり、メモやストックは思考が停止する時間を増やしているに過ぎない。
なるほど、確かにそうだ。
このシリーズはこれから3年間、3ヶ月に1回のペースで発行されることが決まっているという。もちろんウェブがあるはずだが、いい文章なので忘れずに買うようにしよう。
これ以上この本について書くと、後日のエッセイのネタが切れてしまうが(冗談)もう少し。
日記の内容は基本的に2つ。家の庭で走らせている蒸気機関車の模型と、愛犬パスカルの成長期。
前者の模型はちゃんと人が乗れるもので、庭を1周するのに5分かかるとか(゜o゜)
後者の犬は「人間の子どもと違って、やっていけないことはちゃんとわかる」そうである。
模型と犬を中心に日記は巡り、世の中の様々な問題を抽象的に語る。
抽象的なのは「みんなは具体的なことばっかり(ウェブ日記で)書いているけど、僕は仕事で書いているんだからみんなと違うことをやりたい(要旨)」からなんだそうだ。
たぶん、すごくアタマのいい人だ。
思いだしてみれば、彼の小説『全てはFになる』を人に借りたことがある。つまらなくて5ページで読むのをやめて返してしまった。再読したいとは全く思わないが、文章が書ける人というのはちゃんとどこかにいるのだ。
僕も具体的なことを書いている場合ではない。
さて、まずはビールの「キリン一番絞り無濾過生」を飲もう。つまみの「生のり」はシンプルにミツカン「味ぽん」で食べるといいだろう。それでは。
追記:諸事情により日記の一部を削除しました。
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