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これでも、恵まれている |
7月30日 |
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8時起床。
やはり空気が乾いてきたような気がする。梅雨明けしたのだろうか(帰宅して
みたら発表があったみたいだ)。
久しぶりに日記らしくなく。
明日で終わるこのタームは90分×4コマ。体力に自信のない僕には上限と言え
るコマ数。最低で6時間立ちっぱなし、最低で5時間半しゃべりっぱなし。
勤務地(=校舎)にいる時間は休憩時間を含めて7時間と少し。
これは一般の会社員よりは3時間程度少ないだろうか。精神的疲労を別とすれ
ば、予備校講師のほうがラク。肉体的疲労を別とすれば会社員のほうがラク(で
もないのかな、やったことないから不明)。
仮に通勤に片道1時間かかれば、仕事に使うのは9時間少々。
8時間も眠れば1日の残りは7時間しかない。食事と家事。わずかながらも積
もりに積もる雑用の時間。
賢明なる読者はおわかりのように、純粋に自分のために使える時間がほとんど
ない。
僕のような家事偏愛者にとっては、本を読む時間すら満足に取れない。予習以
外の勉強時間が取れないと書ければカッコイイが、予習すらもやる余裕がない。
最低限の買い物、最低限の食事、最低限の雑事(爪切りとか)。幸せな日々とは
とても言えない。
ある講師の意見(これは今日話したこと)では、こうなる。
「家事を全て放り投げて、つまり金や人を使って家事を他人に任せて、そのぶん
コマ(授業のこと)をやったほうがいい」
ただし条件があって、「それが気にならないからできる」そうである。
僕のように自分で自分の生活の詳細を回したい(他人にやらせたくない)人は
、そういう割りきりができない。生活を犠牲にすると考えない人は人にやらせれ
ばいいし、自分でやりたければ自分でやればいい。それは善悪の問題ではない。
ただしまあ、生活を犠牲にして仕事をしたほうが金にはなるがね(←イヤなオト
ナの意見)。
仕事が人生の大きな一部であることを否定する気はない。
実際に多くの人々はそうやって過ごしている。しかし、それでいいのかと思う
。確かに週末には休みがあるかもしれない、休みには何もかもを自由にできる。
それでもなお、仕事がある日々に自分のために使う時間がないというのは、人間
らしい暮らしなんだろうか?
いつもの日記らしく。
夕食のメインは朝まで生きていたヒラメ。生簀(いけす)にあったそれを丸ご
と1匹さばいてもらった。当然の刺身。滋味(じみ)が身にしみる。ポン酢とネ
ギで食べる。うまい。
自分のための小さな時間がここにある。
授業は今日も順調。明日が終われば1日だけ休み。しかしまだまだ「仕事しか
ない日々」は続いていく。いやこれは、夏や冬という特殊な期間だけの集中労働
なんだ思って。プールに行って、たくさん本を読んで、余裕を持って授業をする
、そういう日々が帰ってくるまで1ヶ月の我慢なんだと思って。
追記:「健志、英語を語る」初級文法編『 ever 系の関係詞その1』をアップしま
した。 |
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