予備校講師でわるかったな!





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C期終了、おつかれ! 7月31日
  8時半起床。
  涼しい北風の中で朝食なぞ済ませる。オホーツク高気圧が頑張っているとの由 (よし=とのこと、くらいの意味)、継続してがんばって欲しいものだ。来月20 日あたりからは暑くなっていただいて構わない(そのころは青森にいるから)。

  軽く予習の点検をしてから昼食。
  涼しいのでタンメン。しかし野菜がキャベツだけだったので、盛り上がりと味 はイマイチ。次回はがんばりたい。


  C期も最終日。
  前半の大学別ゼミVではブチキレ。この講座では授業開始前に予習の点検をす るチェックをしている。もちろんノートをのぞくなどいう低レベルのものではな い。

・パラグラフ要約
・指示語の範囲
・内容説明
・ and のつなぐもの

などなど、全て穴埋めで記述式のプリント。解説前に回答していただく。キッチ リ予習をしていなければ何も書けないような設問を並べている。

  ところが、今日の設問「この for の品詞は?」で半分以上の生徒様が間違えて いた。テキストの空欄補充の設問にかかわる部分で、である。

この時期になって、精読。
しかも、予習でわかること。
品詞の分類は訳ではなく、かたちでわかること。

「てめえら、何がMARCHなんだ、非知的階級め。単語はともかく、この時期 に精読ができなくて闘いが起こるか。白文読みをやってないからそうなるんだ。 俺様の授業は、白文読みをやることで力がつくんだ!」


  まあ、カンカンにキレたのはともかくとして、全体にはいい感触だった。
  MARCHはこの3年ほどで、問題レベルが極端に落ちた。もうほとんど、字 が読めれば合格、というレベルになった。ホントかと思った受験生は、2002年度 あたりと2006年度の問題を解き比べてみること。受験生のような受験シロウトで もすぐに認識できるほどだから。


  休み時間。
  隣の席は日本史講師 I (呼び捨て)。

  講師室に小さな虫が飛んでいてウルサイ。
  「あー(-"-)」などとイラついてい ると、 I がひとこと。

「嫁は寄って来ないのに、虫は寄ってきますね」

  うるせえ。
  (この講師室の)どっかで湧いているんじゃないかと言うと、

「そりゃ、どっかでは湧いてるでしょう」

  だまれ。
  まあ、神様が創ったわけじゃないから、「どっかで」湧いたのは間違いないん だけどさ。


  Cクラス。
  授業の感触は良かったと思うが、肝心の生徒様の能力に疑問符がついたのも事 実。今日の当日演習で must の意味を「しなければならない」としか覚えていなか った人は、ここを参照。

  全体的な感触としては、「このクラスは(結果が)2極化するんだろうなあ」 というところ。
  思い切ったことを書いておくと、勉強しなくても入れる大学に行く人と、勉強 してもなかなか入れない大学に行く人に分かれるだろう、ということ。そのライ ンがどこにあるのかは明言できないけど、MARCHレベルが後者とは言い切れ ないところが難しいよなあ(-_-;)


  全ての授業が終わったところで、スタッフ2人が交代にやって来る。
  タームの終了をねぎらってくれる。

「(このタームの授業)お疲れ様でした」
「(このタームの授業)ありがとうございました」

  ありがたい言葉だ。疲れも癒えるというもの。
  この手の決まり文句的なアイサツを聞くことが少なくなった。毎週の授業後は ともかくとして、学期の終わりや講習のタームの終わりには(お世辞や形作りで いいから)言って欲しいと思う。


  確かに今の時代は予備校講師が少子化のために過剰で、予備校側からすれば「 買い手市場」かもしれない。つまり講師なんて存在は犬畜生以下であって、アイ サツするにも値しないという考え方があって当然だと思う。
  しかし、現場のメンタリティーは違う。肩まで揉まれなくても、こびへつらう までされなくても、「このタームもいい授業をありがとう、お疲れ様でした」と 言ってもらって悪い気はしない。

  それは将棋で言うところの形作りだ。
  一応は好勝負だったと申し合わせるための、敗者の一矢を報いるように見える (だけの)最後の指し手。「勝てるわけもないのに」、ちゃんと形式を整えると いうことだ。


  僕は全ての授業の最後に頭を下げて「お疲れ様でした」ということにしている 。
  どんなに生徒様を叱っても、注意しても、怒鳴っても、時間と場所を共有して くれたこと、あるいは時間とお金を払ってくれたことに、感謝と敬意を伝える。

  教える立場、教わる立場なんて関係ない。
  いまこの瞬間に、ぼくたちは感謝する。たとえ形作りに過ぎなくても、ぼくた ちは一緒に過ごしたことに、その時間に、その偶然に感謝する。それは人間とし て当たり前で、欠かすべきことではないと思う。

  それを積み重ねて、僕も君も明日への活力を養う。
  形式美だと笑いたい奴は笑え。嗤われても、僕はそういう小さなことを積み重 ねて生きていく。
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