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what little help (以下略) |
8月8日 |
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午前中はLクラス。
考えるところがあって、少しレベルを落としてやってみるつもり。
小手調べに、ある問題を指名して答えてもらう。こんな感じの問題。
The mother ( ) her baby down.
1、lie
2、laid
3、lay
4、lying
生徒様♂は2と解答。
理由を聞いてみる。
♂「まず lie と lay の区別」
僕「自動詞と他動詞?」
♂「はい」
僕「それで?」
♂「 lay だと s がないからダメ」
僕「あ、3単現の s ってことね」
♂「そうです」
僕「続きは?」
♂「 lay の過去形だから」
やるじゃないか。
ちゃんと鍛えた甲斐はあった。答えがあっていたことではない。確かに偏差値はまだLクラスのレベルかもしれない。でも彼はちゃんと問題を解くにあたって必要なことを区別しようとしている。
彼の「解説」には第3文型であるという理由がないが、lie と lay の区別という発言でそこがわかっていることが伝わってくる。これがきちんと数字=偏差値に現れてくるまで時間がかかるのがつらいことだが、いいかげんにやって偏差値が上がった下がったとわめいているよりもはるかに大切なことだ。
授業そのものは、普段の在籍生にあわせてややピッチが上がる。
講習生だけだとペースは落ちるが(もちろんそれはそれでいいのだが)、正会員がいるとペースを上げられる。講習生も周りの様子を見るから、「あ、オレ遅れてる」と意識するからだ。こういうことも、鍛えた効果。
午後はCクラス。
夏休みも半分を過ぎようとしているわけで、夏の前半よりペースを上げられるかなと踏んで教室に入る。ところがピリっとしない。全体にカツを入れる。
「お前らは夏も半分を過ぎようとしていて、そんなにダラダラやっていていいのか! パラグラフ冒頭の this の指すものを予習で考えることもできないのか! お前らの夏は、そんな夏なのか!」
現役生の場合、夏休みは実際に流れる時間の倍以上の価値を持つ。
授業数それ自体もそうだし、高校がないぶんだけ受験勉強に使える時間が大きく増える。あくまでアバウトに言えば、1ヵ月半で「学校がある時期の4ヶ月程度」の実力伸張が期待できる。だから「決戦の夏」というチンプな決まり文句があるのだ。
まあ、ダラダラやっても「大東亜帝国」くらいは確実に受かるだろうが。自分の名前だけは漢字で書けるようにしておきたい(それにしてもこの手の残虐悪辣発言のゴイだけは豊富だな)。
授業後は珍しく質問対応が長くなる。
『Z会』で名詞の項目をやっている生徒様♀。入らないものをあるだけ選べという、こんな感じの問題(←調べるのが面倒なんです、すいません)。
There is plenty of ( ).
1、water
2、information
3、mirror
4、advice
5、mistake
正解は3と5。
plenty of の語法と呼応をミックスしているわけだ。
♀「いやー、なんか細かいですねえ。どこまでやるんですか」
訊けば第1志望は某有名×大(個人情報につき削除・エックスではない)。
確かに直接の出題は、法学部と人間科学部を除けばほとんどない。しかし、『Z会』の例題に出ている程度の設問は「そんなことは前提ですから」という扱いで問題が作られることが多い。直接出題されないからといって文法の価値を低く考えるのは、頭が悪い上に結果も悪い生徒様。ただし、一覧表を覚えようとするとハマるだけなので生徒様は注意してください。
しかし、こういう質問が来ると(面倒だけど)こっちもラクだよな。
生の生徒様が、どんなところで悩み・つまづくのか理解できる。講師が生徒様を育てるように、生徒様も講師を育てる。
直接の面識がない読者様からのメールが少々来るようになった。
HPというのはどんなに頑張って更新しても読者様からのレスはありえないものだから(コメントがつけられるブログはともかくとして)、ありがたい。
ちょうど、今日のLクラスでこんな下線部訳の英文を扱った(これもウロ覚えなので、今まさに英作文してみます)。
Anyone who can afford a personal computer can make their message heard around the world by both friends and strangers who have the same interests, no matter where and how numerous they may be.
(パソコンを所有するゆとりがある人なら誰でも、同じ興味を持つ友人や知己のない人に、たとえ彼らがどこにいてもどれだけその数が多くても、自分の言いたいことを世界中で聞いてもらうことができる)
こんな感じだっけな。
違ってたらまずいな。テキスト、校舎に置いてきちゃったよ(^_^;)
では最後に、とある読者様のメールから勝手に引用(すいません)。
>人間が進歩・成長するためには、「型」を強制されることによって、その反動で「個性」が生まれるのだと思います。
また、好きなことだけやって本当の成長などあり得るはずもないのに、いやなことは強制させない、できないこともまた
個性なのだという、レベルの低い「個性」が尊重されているのが、今の教育の崩壊につながっているのだと思います。
なるほど。
同じ興味を持つ、見知らぬ人。いつもご愛読をありがとうございます。
ぼくたちは、いつも誰かに助けてもらいながら生きている。
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