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自信は消えず、されど確信もなく |
8月12日 |
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5時半起床。
暑くてたまんねーんだよオッサン、って俺がオッサンですがな。
市進のE期も最終日。
8つの期間に分かれるタームも5つを終えて、高校の夏休みも半分を終えた。何もかもが最後に向かって歩き出す夏の後半。
お昼休みのオリジン弁当も飽きてきた。
真剣にメニューを検討するのも虚しい。5日→5日で同じ弁当屋の弁当を食べるのはきつい。どれを頼んでも結局は同じ感じがする。しょうが焼き弁当。
Lクラスは、まあそれなりの順当さだった。
あくまでも僕の基準でレベルを2段階くらい落としてみたところ、出席率はトクベツに落ちることもなかった。それはそれで悪い気分でもないのだが、自分なりの不満は残る。いつまでも同じレベルの授業で満足させられるのか、という疑問点だ。
Cクラスも、悪くはなかった。
こちらも僕の基準の1段階落ちくらいでやってみた。初日に講習生を中心に脱落者を出したが、2日目以降は常連さん出席状態を維持できた。それが必ずしもいいこととは思えない。講習生たちは、どこに消えたのだろう?
受験問題のレベルが落ちることは構わない。
それは時代の流れであり、世界のニーズだ。でも、2つの問題点がある。
・講習生を中心とした学力レベルが異常に落ちていること
・入試問題の無意味さが目立つこと
後者について検討する。
全てのレベルのクラスで同じ入試問題を当日演習で扱った。あくまで覗き込んだだけと断っておくが、全員が正解を出せた問題があった。それは、「何か飲み物を飲みたいのですが(英文)」という質問に対する答え。
( ) some coffee?
4つある選択肢の正解は How about だ。
不気味なことに、本当に誰も間違えないのだ。幼児英会話教室で扱うような基本的な口語表現。「コーヒーなんぞいかがですか?」。ははは、おめでてぇ。
こんな表現の正解率が100%。
これが先進国日本の英語教育。そんなん、サッカーしかできない発展途上国の英会話じゃないのか? 知性を育てるための教育は行われていないのだろうか?
日常英会話が悪いと言っているのではない。
大学という学問の府に行こうとする生徒様たちが、こんな知的レベルの低い会話表現をカンペキに正解する。これがこの国の目指す教育なのだろうか。
再チャレンジ社会がどうの、靖国問題がどうのと議論する前に、教育に関して誰も議論しないのだろうか。日本では、誰もがニートまっしぐらの教育を敷衍させる(ふえんさせる=行き渡らせること)ことが目的になってしまったのだろうか?
質問対応を終えて実家に立ち寄る。
野菜料理とビール、そして麦焼酎。くつろげる実家で母親の話を聞き、ネットをうまく利用できない父親にアドバイスをする。
ケッコウ酔って帰宅する。
酔い覚ましの麦茶を飲んで、この日記を書く。俺がやっている仕事って、本当に意味があるのだろうかと考えながら。他動詞や関係代名詞やパラグラフ関係なんていう、抽象思考を教えることを世界は求めているのだろうかと考えながら。
そうだ、それでも僕はやらなきゃいけない。
僕の授業を待っている生徒様がいる、世界がある。いやいや、きっとそうだと信じないと僕は生きていく意味がないのだ。そうだそうなんだと自分に言い聞かせる。
午後の雷雨で暑さが緩和された。
何かを、どこかに流されていなければいいんだけど。
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