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平成書生気質 |
1月11日 |
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パパ、ママ、ぼくは決めたよ。
ボクがやるべきこと、なすべきこと。聞いてくれる?
ボクは、書生になるんだ。
10時起床。
9時間睡眠。書生は働かないでいいから、好きなときに起きるんだ。生活費は
故郷(くに)から送られてくるんだ。パパとママが払うんだよ。
朝食はフレンチトースト。
ねえママ、知ってた?
書生は洋風生活を好むから、朝食に納豆とか食べないんだ。午後には紅茶を飲
むし、夜には麦酒(びいる)を飲むんだ。
新聞を読む。
TV報道のせいで納豆が各地で品切れという記事。ほら、愚民はTVなんか真
面目に信じてるんだ。TVがバカを生産し、バカがTVを生産する。これを「愚
民的テレビバカスパイラル( spiral )」って言うんだ。
書生はインテリだから、必要のない英語を混ぜて書くんだ。
額に汗して働く大衆を小ばかにするのも書生の基本なんだよ、パパ。自分はロ
クに働きもしないで、大所高所から見下ろして、コキ下ろす。書生の大切な役割
なんだ。
11時から読書。
書生は本を読んでいれば勉強で、読んでいるフリをしながら過去の恋愛に想い
をはせるだけでもいいんだ。イザとなれば「世間を憂うばかりに書に気持ちが這
入らない」とでも言っておけばいいんだ。書生だから許してもらえる。
1時半、読書を切り上げる。
書生は勉強に飽きると散歩に出るんだ。何も生産しなくても大丈夫。なにしろ
パパとママが養ってくれるし、莫大な遺産を相続することになっているからね。
ペルソナの転換。
『こころ』夏目漱石を読了。
今年の目標の1つである小説再読の1冊目。文庫本の奥付(おくづけ=書名や
著者名や発行日が書かれているページ)をみると昭和61年6月。僕が高校1年生
の夏である。
おいおい、今の生徒様はまだ生まれてないぞ(・_・;)
さすがに言うまでもなく、凄い小説だった。
一般的に小説は収束または収斂(しゅうれん)してそれなりの結論を得るもの
だという了解があるはずだけど、この小説はその反対の発散で終わる。収束が「
そうか、なるほど」で終わるものであるとすれば、発散は「で、それでどうなる
のよ?」という言わば不満足感で終わるもの。
とてもじゃないがこの小説の感想文をエッセイに書ききる自信はないので簡単
に書いておく。
初めて読んだのが16歳の夏であると仮定する。高校3年生のときの教科書にも
その一部が載っていて授業中にむさぼり読んだ記憶もある。そのあとで読んだの
は、はっきりしないけれど24歳くらいのときではないか。独り暮らしを始めた26
歳以降には読んでいないはずだ。
少なくとも12年ちょっとの間隔をもって
の再読ということになる。印象や感想は変わったのだろうか?
あまり変わらない。
よくわかったのかよくわからないのか、それすらハッキリしてこない。この小
説の深みに起因するものなのか、僕の成長の遅さに由来するものなのかもわから
ない。
>精神的に向上心のないものは馬鹿だ
「私=先生」はこう言って友人のKを奈落の底に突き落とす。しかも2回も繰
り返して。
この言葉はKに発せられたものであり、同時に先生本人に向かっても発せられ
たもの。それでいてこの遺書を読んでいる語り手である「私」にも向けられてい
る。僕は16歳のときにそう感じたし、こうやって36歳になって読んでみても同じ
ことを感じる。
小説の構造が不自然で複雑である。
ストーリーが単純(利己心にあふれた先生がKを殺し、その利己心が先生その
人をも殺す)であるだけに、その不自然な枠組みが気になる。わるく言えば1つ
の世界として完結した小説ではないし、よく言えば構造のアヤフヤなところが肝
になっている小説とも言える。やはりこのことも16歳のときに感じたこと。
小説という芸術の前近代的試行の具現化たる作品、なんていう要約じゃダメだ
な。
そもそも、説明に漢字が多いのはよくわかっていない証拠という気もする。も
っと年齢と経験を積んでたとえば10年後くらいに再読すれば、もう少しまともな
感想文が書けるようになるかもしれない。
またあるいは、そのときでも同じよう
な感想を書くのかもしれないけど。僕より若いひとは早めに読んでみてください
。ズバ抜けて良い小説であるのは間違いない。
平成の書生はスーパーに行く。
明治時代の書生は黙っていると女中が食事を用意してくれるのだが、今はそう
いう時代ではない。あるいは、僕は書生ではないということかもしれない。
今日
も近海魚の仕入れが良くないので悩む。そこでブリ大根を作ろうとしたものの、
ブリのアラは量が多いものばかり。独り者はこれがつらい。150グラム入りで足
りるのだが。代替手段を考えるために売り場を30分ほどさまよった。
あ、さきほどペルソナの転換が起こっているので、記述は通常モードに戻って
います。ペルソナはラテン語で人格のこと。
ナス味噌炒め弁当を使ってからプール。
何しろ書生だから働かなくていいのだ。21分で800M。通常ペースに近くなっ
てきた。帰宅してヒミツの花園を1時間半。
さあ夕飯だ。
平成の書生は自炊しなければならない。
昨夜のロールキャベツはソースを和風(塩コショウとしょう油)にする。これ
も美味。
鶏ひき肉とカブの中華風炒め物。乾燥シャンツァイとトウバンジャンを使った
がイマイチ。ユズを使ってソボロ煮にするべきだったか。
旬である寒ブリの刺身。刺身用は養殖モノしかなかった。天然モノで刺身にで
できる素材を千葉で入手するのは難しいのだろう。実際に脂っこくて閉口する。
ペルソナの転換。
ねえパパ、ママ、ぼくはやっぱり書生になるよ。
何しろ書生は食事に悩まなくていいからね。恋愛事件を起こしてもグズグズ悩
んでいれば食事が勝手に出てくるんだ。「ちったぁ働け」なんて言われても気に
しないだけの精神の高みにいることができるんだ。ねえ、仕送りは忘れないでね
。ぼくは勉強しているから。
追記1:書生は甘えるのもいい加減にしろ。
追記2:件名は坪内逍遥の『当世書生気質』のパロディー。 |
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