予備校講師でわるかったな!





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整理整頓と死生観 2月2日
  日記がアップされるのは「当日」ないし「翌日」になる。
  たとえば、ある月の2日夜11時にこのサイトをのぞくと日付が「1日」になっ ていることもあれば「2日」になっていることもある。リニューアルや僕の旅行 中など画面更新の都合上で日記が「先書き」される場合もある。
  だから、わざわざ訪問してくれた読者様が「あれ、昨日と変わってないじゃん 」とか「なんで今日は24日なのに日付が23日になってるの?」と思うこともある かもしれない。そういうときは2日くらいたってからお立ち寄りいただければ更 新されているはずだ。

  上記を読んで「あれ。これと同じことを前に読んだぞ」という読者様もいるか もしれない。
  それをデジャブー現象という・・・というのはウソで、今までも何回か書いた ことをもう1度書いただけ。HPは常に読者が入れ替わるのが普通で、自動的に作成者は同じことを書いたり同じような質問メールに答えたりする必要を抱える 。だから、このくだりを読んで「なんだそういうことだったのか」と思った人は とても長い間このHPを観てくれていることになる。改めて感謝。


  さて1月31日の一部と2月1日の全ての日記は先書きされたことになる。
  とりあえず1日分の記録として書いておくと、夜は千葉県某所で某科目の某講 師と会食した。僕は4時間半で熱燗を4合半飲んだ。以上。

  ということで無事に今日の日記に移ることができる。
  北風がとても強いけどとてもいい天気。空気がとても乾燥していて、一度火事 を出せば平成の大火になってしまうほど。じゃなくて、布団がよく干せるという ことが言いたいんだった。

  今年度(我がサイトは2月から新年度)からは日記の書き方を工夫しようかな と思っている。
  もちろん今までも並々ならぬ(なみなみならぬ=ハンパじゃない)工夫をして きたわけだけど、日記の焦点というか日常への視点の置き方を毎日のように変え てみようということだ。365日分のバリエーションがあるわけではないにせよ。


  今日の主な行動は部屋の掃除と整理であった。
  当然のように毎年この時期に恒例になっているのだが(なつかしい日記はここ 2004年2月2日)、今年の気合の入れ方は違う。今年の夏になる前あたりに新居 に引っ越すので、モノの更迭を徹底的にやっている。
  更迭と言えば、「女性は産む機械・装置」という失言をやらかした大臣はまだ 更迭されないんだろうか。失言はあっても構わないと思うが、あれはサクリと更 迭しないと内閣の評判が落ちて選挙で不利になると思うのは常識的すぎる意見か 。
  あの発言それ自体がジョークとしてなされたなら、ブラックすぎて面白いかも しれない。「じゃあ男は××する装置だよな」くらいの下の句を用意すれば、泥 酔の酒席においてのみ笑えるかもしれない。しかし国会は酒席ではない。


  掃除と整理の話だった。
  過去にかかわるものを捨てるのが目標。予備校関係のものは教材系・給与明細 をのぞいて全て捨てている。授業依頼書や授業アンケートは今まで全て保存して きたけれど、考えるところがあって捨てることにした。その2つは過去のもので あるが、未来への「積み上げ」として保管する意味がないと考えるようにした。 今まで使ったプリントの明細(どの授業でどのプリントを使ったかのメモ)も捨 てた。今年の授業では、授業構築そのものをゼロからやり直すことに決めたから だ。

  捨てるかどうか考えて保存したものもある。
  クビになったJ南予備校のテキスト。今年は時間があるので、8年分の全てを 復習してから捨てる予定。予備校講師としてのスキルが上がっていき、また同時 に人気を落としていった軌跡がそのテキストたちの中に残っているはず。厳しさ を増す自分の状況の中で、過去にヒントを探すなら授業そのものに直接関係する ものだけを残すことにしたわけだ。


  過去は捨てる。
  その方針に合わせて、過去の自分が大切にしていた(が今は興味をなくした) ものを捨てる。たとえば年賀状や競馬のレーシングプログラム。年賀状は過去1 年分だけであとは不要。後者は「レープロ」と呼ばれ、あるいはマニアなら垂涎 ものということもあるかもしれない。しかし今の僕には関係のないものだし、売 る手間も大変だしということで全部捨てる。好きだった馬の馬券とか思い出のレ ースの入場券なんてものも捨てる。

  手紙やハガキや写真はどうするか。
  ハガキは捨ててもいいか。暑中見舞いのようなものは年賀状に準じるから要ら ないだろう。困るのは普通のハガキに普通に文章が書かれているもの。このあた り、今の高校生からすると古い時代の人間だと思われるかもしれないが、少なく とも10年くらい前には手紙にそれなりの文章を書くことがあったのだ。
  手紙は人生が終わる直前に読み直したいので保存。ただし場所を取るのできち んと整理する。まだ人生が終わるまでにはしばらくあるから、整理中に読み出さ ないように十分に注意する。
  写真はできるだけ時系列に整理する。同じような風景がうつっているなら綺麗 なものだけ残す。ちゃんとしたアルバムを買って整理するのはまだ必要ないだろ う。それにしても、やはり昔の(昭和50年代)写真には日付が入ってないので苦 労する。これも古い世代の繰言ですまぬ。


  掃除の途中の部屋は汚い。
  散らかっているという事実を示す比喩に「足の踏み場がない」という表現があ る。もちろん実際には踏み場くらいはある。もしたとえば、玄関のチャイムがピ ンポーンと鳴って、そこにうら若き女子が立っていたら困るというだけのこと。

  部屋の乱雑さは住み主の精神状態を示すという説がある。
  部屋はつまり自分だという考え方である。僕はほどよく整理されている部屋が 好きだ。また一方で「きちんと整理された( neat and tidy )」部屋も落ち着か ない。TVドラマのセットみたいな部屋が嫌い。今の「足の踏み場がない」状態 は過渡期だからガマンできるが、これが常態だったら自決してしまうだろう。そ うやって考えてみると、「部屋=本人」説は少なくとも僕には当てはまることに なる。


  昨日の会食で言われたこと(要旨)。

>信原さんの日記を読んでいると、信原さんには「生きる力」があるって思うん だよね。あの、今の教育がやりたがっている「生きる力」ってやつ。

  冗談で言っているわけではないと思う。
  お世辞かもしれないし、本当にそう思っているのかもしれない。僕は「そりゃ もちろんですよ」と冗談めかして答えておいたが、本当にそうなのだろうか?
  過 渡期にある部屋で整理をしながらくじくじ考えていると、なるほど思い当たるこ とがある。僕はいつも死ぬことを考えながら、それが嫌でたまらなくて生活をし ているということ。今日も布団はステキに干せた。明日も頑張って干そう。

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