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傾聴ボランティア 2月8日
  ♪ぼくらはみんな生きている
     生きているから布団干し〜・・・。

  8時半に目覚めて布団干し。
  もはや「布団干しが趣味でわるかったな!」と化しつつある「よびわる」では あるが、これを記述せずにいかの人生かッ!

  一昨日の来客のためである。
  自分が眠るための布団はともかく、来客用の布団が湿り気を抱えたまま押入れ に入っていることが許せない。その湿り気を想像しただけで気分が悪くなる。押 入れの中の布団までキッチリと乾燥していてこそ人生の快楽。布団が湿った人生 は湿った運命を抱えると確信している。「じゃあ何か、布団が乾いている人生は 乾いている運命を抱えるのか」などのツッコミをしたくなる読者はまさかここま で読んではいるまい。


  2度寝して10時起床。
  ピザトーストを食べてから読書。

  『まず書いてみる生活』鷲田小彌太を読了。
  サブタイトルは「読書だけではもったいない」。読書ばっかりしてないで自分 で文章を書いてご覧なさい、楽しいからと定年後の人々に執筆生活を薦める本。

  僕はこの手の文章読本系統が好きで、下らないと思いながら買ってしまい、実 際に読んでみたら本当に下らなくてウンザリだ、と言いつつ買っちゃうんだよな 、ということを日記のどこかで書いたと思う。
  本書はどうかというと、実にキッチリと予期された不安と失望を提示してくれ た。こんなん読んで文章を書きたくなる奴が実際に書けるわけないじゃん、とい う感想。いや、悪く言っているのではない。非常に読ませる文章で、書いてみる 生活を目指せるかどうかは別として、面白いのは事実。細かいところに笑いとし てのツッコミを入れたくなる。

>村上春樹で思い出すのは、初期のころからパソコン(ワープロ)で書いていた ことです。

  違うって、おじさん(・_・;)
  春樹は最低でも作家になって8年後に出版した『ノルウェイの森』までは手書 きで執筆している。ローマ滞在中に書いていて、「外出中に家が火事になって原 稿が燃えちゃったらどうしよう、イキオイで書いているから書き直せないし、び くびく」という趣旨のことを春樹はエッセイに書いている。

>でも、ほとんどの人は、短いものなら書けるが、長いものは挑戦しても、いつ も頓挫する、というじゃありませんか? そうです、じつは、この手の人は、短 いものもきちんと書けていないのです。だって、長いものは短いものの連なった ものなのです。

  なるほど。
  「もの」のところに「入試の長文」、「書く」のところには「読む」でも代入 して生徒様への説教に使おう。1文がきっちりと一定の速度で読めるやつは長文 でも同じように読めるのだ。

>(前略)書きたいテーマがあるのは稀なのです。書くと、書いてゆくと、書く べき重要な課題につきあたるのです。これが偽りのない事実です。書かなくては 死ねないというほど重要なテーマは、おそらく生涯手をつけることができないの ではないだろうか、と思ったほうがいいのではないでしょうか。

  このように「文章執筆のススメ本」は文章またはそれを書く動機についてサク っと語られることが多い。
  それで文章を書きたくなるのではなくて、ああそうだよなそういうものだよな と思わされる瞬間が欲しくて読んでしまうのだと思う。ま、ヒマな人は立ち読み なぞどうぞ。


  お昼過ぎから2時間ほどヒミツの花園。
  ちょっと二日酔いかなと思いながらも昼食はトロロソバ。一昨日の食材(イワ シのつみれ、ネギ、白菜)が余っているのだよ。急いでプールへ。あわてて帰宅 して布団を取り込み、実家へ。入院した家族がいるから、残された家族がいる。 話を聞いてあげないと。

  実家では「豆腐の鶏ソボロあんかけ」を作る。
  やや薄味なれど見事な一品。作ったのはまだ2回目だが、レシピなしでそれな りに仕上がった。マスターまでもう少し。ちなみに材料の豆腐・鶏肉・ショウガ ・青ネギ・シイタケは持参した。しつこいようだが布団が・・・じゃなくて一昨 日の食材が余っていて困っていたのだ。


  手話を始めたという話をすると、母も昔に手話をやっていたそうな。
  しかし習得までの時間があまりに長く、今では点字翻訳と「傾聴ボランティア 」をやっているという。あれれ知らなかった。訊いてみれば傾聴ボランティアと いうのは「老人ホームなどの施設に出向き、話を聞いてあげる」という地道な活 動だとか。言われてみればそういうボランティアも必要だったのかとわかる。

  入院した家族がいると、残された家族には心労がある。
  病気になることも手術することも、コトバは悪いが仕方がないことで、本人以 外は経緯を見守るしかない。もちろん心配ではあるが、別の場所に暮らす僕が特 にやるべきことはない。
  しかし同居する家族にとっては面倒なことで、お医者様の話を聞いたり着替え を持っていたり患者本人のグチを聞いたり親戚からの電話に対応したりで心労が たまる。自分がかかった病気などの不幸なんてのは実は大したことではなくて、 近しい人つまり家族の病気ほど堪えるものはない。

  そこでバカ息子の僕がメンタルケアをしにいくわけだ。
  当然のように「くどくどくどクド。グチグチグチぐち」と母の話はどこまでも 終わらない。うんうんそうだねえとひたすら聞くのがメンタルケアであり、 楽しくはないが血のつながった人間の責務であろう。気がつけば僕が「傾聴ボラ ンティア」をしているわけだ。僕がこうして日記を書くことで、あるいは読んで もらえることで癒しを感じているように、僕が話を聞いてあげることで母には癒 しの効果があるだろう。幸いなことに今はヒマだからできることだ。


  4時間でワインのボトル1本を空ける。
  ボランティアというわりにはタダメシとタダ酒をかっくらってくるわけだ。ま ーまた近いうちに来るから・・・と言いながらクラシックのCDを5枚ほど借り てくる。これはボランティアではなくタカリではないのかと思わなくもない。し かしここしばらくは実家と見舞いの往復の日々となりかねないから許してもらお う。そもそも、僕はボランティアが好きではないのだ。

  いやはや、人生ってのは悪いことが続くものですね。
  ということで、読者の皆様に読解ボランティアを強制して今日は去るのだ。ぼ よよ〜ん(←何?)。

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