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読書と中華なサーズデー |
4月12日 |
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9時起床。いい天気。
昨晩のうちに洗濯しておけば良かったとあわてて洗濯機のスイッチを入れて、
40分後に干す。夕方まで在宅するから、うまくいけば乾くだろう。しかし準備を
怠ったと少し反省。ことわざにも「洗濯先に干せず」という。構文が「覆水盆に
返らず」と似ているけれど、ベツのもの。
読みは「せんたくさきにほせず」で、翌日が洗濯干し日和になると前日にわか
らないから、いつも準備を怠らないように配慮しようという意味。
日本海の対馬(つしま=長崎県かどこかの島。晴れた日には朝鮮半島が見える
)で生まれた諺らしい。地理的な条件もあって韓国に由来するという説もあるがハ
ッキリしない。元寇の時代に対馬に立ち寄ったモンゴル(軍)のことわざでは、
とする説もあるが、たぶんウソだろう。
論拠は、モンゴルは草原地帯だから天気
の変化が早くないというもの。僕にはその真偽判定はとてもじゃないけどできない。ことわざの由来を特定するのは難しいというより
無理・無駄に近いものなのだ。
まあ、全部ウソだけど・・・。
07年度的各曜日通年スケジュール木曜日。
あれ、昨日の日記に水曜日版を書くの忘れたな。まあいいや、水曜日は仕事。
木曜日は休日。たしか2000年度から木曜と日曜の週休2日にしたはずだ。基本的
に仕事(予習や準備)はせずに自由に時間を使う本当の休日。
一昨年あたりまでは「必殺独りデート」に出ることが多かった。
しかし最近はヒキコモリ気味。独りデートは楽しい部分もあるが、虚しい部分
のほうが大きいと気がついてしまったからである。人生には「知らないことの幸
せ」がきっとあるはずだ。映画を観るか展覧会を観るかというパターンが多かっ
たが、興味のあるそれらの数は少ない。
読みたい本が多すぎることもある。
読む速度が速いほうではないので、どんどん未読本が増えてしまう。もちろん
日常の細かい余り時間(5分以上電車に乗るなど)でも読んでいるけれど、家の
ソファでじっくりと数時間くらい続けて本を読めるのは木曜日くらいということ
もある。しかもこの1年くらいは「ピアノ曲を聴きながらソファで寝そべり読書
」という喜びに目覚めてしまったということもある。やはり、目覚めないほうが
いいことも人生にはあるかもしれない。
『新版 年収300万円時代を生き抜く経済学』森永卓郎を読了。
新版ではない『年収300万円〜』がベストセラーになったのは2003年のこと
。本書はこの「正編」と「続編」を再構成して2005年に出版されたもの。
最初に感想文と関係ないことを少々。
流行語大賞にもなった「年収300万円」という言葉を作った「正編」、その
「続編」とあわせて37万部しか売れなかったと本書の冒頭に書いてある。著者は
「37万部も」と書いているが、書籍というのは本当に売れないものなんだね。
感想文に移る。
うさんくさいところはたくさんあるだろう。特に経済学に詳しい人は「テキト
ーな説明があちこちにあるな、愚民向け」とけなしているかもしれない。しかし
愚民の僕としては、なかなか面白い本だった。専門的・抽象的な経済論ではない
し、かといって具体的・実践的なアドバイス本でもない。「年収300万でも楽し
い暮らしができるから、頑張りましょうよ」というわかりやすいメッセージ。新
古書店で105円で買えたのはラッキーだが、文庫で定価590円なら十分にその価値
はあると思う。
この感想文に引用したくなるような刺激的なフレーズはない。
無理に探せばまえがきにある「(私の予測が甘かったのは)年収300万円にま
ったく届かない非正社員の増加が、ここまで進」んだ、というところだろうか。
年収は多ければ多いほどよい良いだろうことは誰でも認めるだろうし(著者はそ
ういう主張をしていないが)、年収100万円そこそこでは暮らせないことも認め
るだろう(著者も同じ主張をしている)。だからこそ年収300万でうまく楽しく
暮らしていける社会にしましょう、という著者のメッセージが読者によく届いて
くる。社会人なら立ち読みでもどうぞ。
遅めの昼食はつけ麺。
どうもあまり旨くないようなので具沢山にしてみる。鳥ムネ肉、シメジ、長ネ
ギを炒めて、水を多めにして軽く煮込む。なんとなく中華っぽくていいかなと食
べてみる。あんまり変わらないな。
午後はちょろちょろとHPの作業。
プールは700メートルで済ませて、夕方に外出。読みかけの本が終わる寸前だったのだが、時間切れ。千葉県某所で家族の快気祝い
。カイキイワイとは、病気の癒えた人をお祝いする行事。その家族が入院したの
は今回が2回目で、初回は5年くらい前。これから頻度が上がるような気がしな
くもない。いつまでも健康というのは難しいからね。
店に向かう途中で、中学校の同級生♂とすれ違う。
あれあれと声をかけようかと思ったが、女性を連れていたのでやめる。平日の
夕方だから何かの事情があるのだろう。しかも連れ立っていた女子が20代半ばく
らいで、まあアレですかねという感じ。いちゃいちゃムードが漂っていたし。人
の恋路に立ち入らない、自分の恋路は見つからない、これが僕の鉄則。それでい
いのか俺(._.)
某高級中華料理店。
いちおうは宴席なので料理を予約しておいた。紹興酒なぞグビグビ。最初の1
本は僕が注文した。8年もので500ML。事後にメニューを見た僕の兄弟は、「
おい、すげー高いじゃん」とのこと。松竹梅の竹ぐらい。松竹梅(しょうちくば
い)はモノゴトのランクを示す言葉で、松が最高位。兄弟は
「おい、松だと、六本木でボトルを入れるようなもんだな」
と言う。行ったことないので知らんがと言えば、
「イメージって大事だろ」
とのこと。まあ、ねえ。すごく高くて、すごく美味しかった。
宴も後半で家族2人が議論を始める。
僕は議論が嫌いなので無視していると、兄弟が話をふって来る。
「おい、お前は本当に議論が嫌いなんだな」
と笑う。その通り。さすが同じ血をひく兄弟である。
僕は話しあうのは好きだが、対立系の議論は好まない。
正確には嫌いであり、嫌い以前に参加しないようにしている。話をするのは相
手との共通点を見つけることが目的であって、自説を相手に説得して納得させる
ことではない。
たとえば、話者Aが「太陽は南から昇る」として、話者Bが「いや、太陽は北
から昇る」と言ったとする。
普通の人は「東からだろ」と訂正するだろう。でも僕はそうは言わない。北か
らまたは南からと主張する人々は、それを信じているからだ。他人が信じている
ものを否定しても仕方がないからだ。だから、僕はこういう言い方をする。
「太陽が昇る方角を東って決めたらしいね」
意見が対立している以上、本来的な妥協点はありえない。
だから対案というか、視座をズラした意見を提示する。不毛な言い合いをして
も得ることはない。別の例を挙げれば、テツに興味のない人にテツの魅力を説い
てもしょうがないだろう。
「じゃあバスはどう? 船は、飛行機は? 自転車なら? 馬車は? ボブスレ
ーは? 人力車は?」
4人とも満腹で散会。
快気した家族にも喜んでもらえたと思う。良かったよかった。いくつになって
も家族というのは難しい。「血は水より濃い」のは当然だけど、血がつながって
いるだけに面倒というところはある。本当は誰もがそれを認めたいのだけど、そ
こを否定すると自己(または自己家族)否定になってしまうから言わないみたい
だ。
僕はひとしなみに(ひとしなみ=同じように)家族の全員を愛しているけど、
向こうはどうかわからないしね。別にそれでいいじゃん、と僕はクールに考えて
いる。それにしても、中華ばかりの木曜日だったね。件名のダジャレはわかりましたか?
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