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音楽は日記になれるか? |
4月23日 |
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9時半起床、どんよりと曇、すぐに小雨。
ピザトーストの朝食を済ませてからヒミツの花園を90分。小雨が止んだような
ので外出。昨日のウップンを晴らすべくCD店へ。慎重に検討して2枚購入。
3,000円弱。ついでにスーパーへ。
帰宅して昼飯は食材の都合で日本ソバ。
これじゃあ腹が減るに決まっているんだが。まあいいやと読書。
『心に効くクラシック』富田隆・山本一太を読了。
クラシック初心者向けのガイド本。
富田が第一部の担当で音楽が心にもたらす効用を語り、山本が第二部でクラシ
ック60曲を紹介する。
第一部はボンヤリした駄作。
しかし第二部の曲目別紹介はまずまず。「××したいときに」という小見出し
の「××」部分に、「しっとりとした情感に浸りたい」や「勇気や活力を与えら
れたい」などが入る。様々な音楽家の「この1曲!」をシンプルに語っている(
ただしバッハやモーツァルトのような大物は複数の曲)。これらのアドバイスが
どれほど適切なのか僕にはわからないが、初心者に紹介するのにこういう入り口
を設けておくのは大事なことだろう。
全ての曲にオススメCDを2枚以上挙げているのも良いし、巻末に録音年や出
版社の一覧があるのも使いやすい。
60曲のうち、僕が知らない・聴いたことがないものが56曲くらい。
聴いたことがあり、オススメCDもピタリ一致したのはモーツァルトの『ディ
ヴェルティメント K.136〜138』(指揮者はコープマン)だった。「青春の輝き
を取り戻したいときに」というタイトルがぴったりかどうかは怪しいにせよ、ま
あ言われてみればそういう明るさがある。
クラシックを聴くために、ある程度の前知識は必要かもと考えている。
作曲家はもちろん演奏家・指揮者などの固有名詞の数が多すぎるし、たしかに
聞きわけてみると「けっこう違うな」というところがある。また、音楽ならでは
のテクニカルターム(専門用語)も難しい。
本書では上記の「ディヴェルティメント」に「嬉遊曲」(読みがわからない・
・・)という訳語が与えられていた。
これだけでも、ああそうか嬉しくて遊んでいるような曲なんだ、とイメージを
持つことができる。初心者にとって、そういうナルホド感というのは大切なキッ
カケだろう。そういう意味でも本書は入門向けとしては良書と言えるかもしれな
い。これから曲を選ぶときに参考にしよう。
ところで感想とは関係ないけど、本書の著者の一人である山本一太さんは某Y
ゼミの予備校英語講師だったそうな。
2002年出版の本書では「予備校英語講師の傍ら」と著者紹介にある。ネットで
調べてみると真偽はともかく「元Yゼミ講師」となっている。予備校講師から音
楽ライターへの転進かあ。すごい経歴だなあ。TVで話題になりがちな国会議員
とは別人とか。なんか聞いたことのある名前だなとは思っていた。どっちを聞い
たことがあったのか・・・ひょっとしたら僕がYゼミに生徒として通っていたこ
ろにパンフレットに名前があったのかも。このへんの歴史はもはや闇の中ですな
。
よし。
僕も音楽ライターを目指すか。そのために、先ほどCDを買ってきたのだ。タ
イトルは
「チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番・ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
」
だ。ピアノはリヒテル、カラヤンの指揮。1曲目がスタート。さて、論評するか
。
カラヤンが振ると、重々しい演奏になる。
華麗というよりは荘厳、あるいは「重戦車のような」演奏だと評する者もいる
。なるほど、ピアノの音が聴こえないほどに弦楽器が盛り上がる。ピアノ協奏曲
なのにピアニストの立場を失わしめるほどの、この力強さ、まさにカラヤンここ
に在り。バレンボイムも裸足で逃げ出す帝王っぷりよ。
CDの解説書を取り出す。
クラシックCDの1つのパターンとして、演奏者を軸として、異なる作曲家の
作品を収録するものがある。このCDはそのパターンで、ピアニストとしてのリ
ヒテルに焦点をあて、チャイコフスキーとラフマニノフという異なる作曲家の曲
を扱っている。
む?
1曲目はチャイコフスキーじゃないのか。なんだよタイトルはチャイコフスキ
ーが先じゃないか、紛らわしいなあ。むむ?
1曲目はラフマニノフで、ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団、指揮はス
タニスラフ・ヴィスロツキとある。おい、カラヤンじゃないじゃん!
2曲目のチャイコフスキーがカラヤンだった。
すると、先のわたくしの論評は・・・。
冗談はともかく、どっちも良くわかんねーなあ。
要素が多すぎるんだよ。主旋律だか主題だかがハッキリしないし、まあ早い話
がメロディアスじゃないし。僕が単純でわかりやすいモーツァルトから入門した
ってのもあるんだろうけど、なんつーフクザツな曲なんだ。
しかし、「メロディアス」とか「フクザツ」とか、こんな表現で論評になるの
かなあ。音楽ライターへの道は遠いみたいだ。夢は程よいところで諦めるのも大
切だと聞いている。このあたりで程よいことにしよう。
遅い午後はプールと整骨院。
帰宅の途中でノリ弁を買う。これが2回目の昼食。ジャンクな味を旨いと感じ
る。さらにヒミツの花園を1時間。これをやると日記のネタがなくなるのだが。
夕飯。
ベートーヴェンのピアノ三重奏曲『大公トリオ』を聴きながら「シシトウのひ
き肉詰め」を作ろうとする。音楽の感想はまたそのうち。同系列のネタを同日の
日記には使わないのが原則。
ひき肉を味噌とネギで和える。
酒とミリンも加える。シシトウを脱がせて、じゃないや、ヘタを取って中のタ
ネを出してみたらずいぶんと小さいとわかる。ひき肉を詰めるためには、もっと
大きくなってから(旬は晩夏あたりだっけ?)でないと難しいみたいだ。
方針を変更してひき肉ミソを炒めて、適当なタイミングでシシトウを投入。甘
くなりそうなのでコショウで味付け。まあそれなりのデキかな、というところ。
ひき肉ミソもシシトウも、まったく別の料理にしたほうが旨いような気がする。
究極的に、文字なり文章なりは他の芸術形態と一線を画す。
音楽や絵画や料理は文章に直すのが難しい。言語は左脳の能力によるもので、
(たとえば)他の三者は右脳によるものだからだ。ゆえに絵画の印象派は音楽界
の影響を与えたそうだ。たとえば、ドビュッシーとか。
また同時に、音楽が文学に影響を与えた例もある。
作家の村上春樹は、小説『ノルウェイの森』の当初のタイトルに『雨の中の庭
』を想定した。『雨〜』はドビュッシーのピアノ曲のタイトルである。文学と、
少なくとも言葉と、音楽をつなぐ道はあるのだろうか。
そういうことを一日中考えていた。特に結論は出なかったけど。
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