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ドロドロしてます 1月4日
  2日連続で昨夜の話題から。
  9時過ぎに寝ようと思ったら(子どもか)、TVで『風とともに去りぬ』を放 映していることを発見。8時から12時近くまでで、僕がTVをつけた9時半には2 部構成の前半が終わるところでした。DVDもビデオも持ってないから、観るし かないんだよね。ビンボーはつらい。


  これ、いい映画ですね。
  たぶん昨晩で観たのは6回目くらいかな。原作の小説のほうが面白いとよく言 われますが、僕は映画を先に観たので映画が好きです(小説は途中でザセツ) 。

  しかし、とんでもない男女が主人公ですよね。
  見栄っ張りで強がりなバトラー船長、田舎娘でどうしようもないワガママのス カーレット。スカーレットなんか、ダンナがいながら

妹の夫と納屋でチュー

したり、ダンナの死を知った当日に、

バトラー船長の後家嫁取り大作戦

に屈して3回目の結婚ですからね。救いようのない愛憎劇です。


  それなのに最後は感動できる。
  もう70年くらい前の映画なのですが、個人の好みこそあれ、これを超える映画 を挙げるのはなかなか難しいでしょう。ハッピーエンドの映画だの小説だのにダ マされ続けている平成生まれ諸氏は、この映画を観て一刻も早く大人になりまし ょう。人生は、このくらいドロドロですから。


  9時起床。
  上記のように昨晩は予定変更で映画を観てしまったため、遅くなった。ピザト ーストを食べてからさくさく行動。まずは今月分の授業準備。映画を観ながら作 業的なことを済ませておいたので順調。続いて「冬のアドバイス」の作業。セン ター試験より前にはアップできるでしょう。そうでないと意味がないね。

  続いて昨夜の読書の感想文書き。
  以下の通り。


  『断腸亭日乗・上』永井荷風を読了。
  42年間にわたり、死の前日まで書き継がれた日記の抜粋。
  非常に興味深い。

  永井荷風の作品を読んだ記憶はないけれど、本書の存在はかねてから知ってい た。
  抜粋でも1冊450ページくらいで上下巻セット。1917年から始まるので、文章が 古文のようで読みにくい。この読みにくさに関しては後日にエッセイで。とりあ えず家族を持たない理由の覚書として記された部分。ここはもともと公開する目 的で書かれた文章であるらしく、かなり読みやすい。

>唯わたしくは一個人の身について、わたくしの過去半生を顧みて今なお独身で ある事をあまり悲しんでいないというだけである。(この間二行半抹消)いろい ろな理由から、わたくしは二十年来定まった妻を持たない男になっている。定ま った妻を持たないという事は全然婦人に接しないという事ではない。興味と機会 とによっては、毎日でも女に接することを辞さないであろう。それ故わたくしの 「無妻」は場合によっては「多妻」という事にもなりうる。

  放蕩派であり無頼派ともいえる荷風の本音がよく出ている。
  日記それ自体を公開する目的があったのかどうかはわからない。太平洋戦争が 近くなるにつれ、当局を批判する文章が増えていく。それが人目につくのを恐れ たのか、日記それ自体を削除しているところ(切り取りや墨書きをしたらしい) も散見される。

  昔のことと言っても、まだ100年くらい前のことだから現代に通じる記述も出て くる。
  荷風は晩年に千葉県市川市に住んでいた。そうなることを予感させる記述。お そらく葛飾区を散歩しているとき。

>商店立つづきたる新道路を行くに金町通ひの乗合自動車往復し、ここでも京成 電車の停留場あり。東は千葉成田に通じ、西は千住より日暮里に至る由高札を立 てたり。近き頃開通せしものなるべし。東京府下の新開町は中野目黒巣鴨辺また 池上蒲田あたり、いづこも同じやうにて特殊の情景はなけれど、隅田川以東の地 は紳士の邸宅らしきものなく見るもの皆貧し気にて物哀れなれば、世を避けてか くれ住むにはかへつてよかるべし。

  この隠居志向は日記に常に現れる。
  それなりの財産はあったようで、既に作家としての地位も確立していたのか、 日常に特別なことは何もしていない。「腹しぶり」で1週間くらい寝ているなん ていう記述もあちこちにある。

  日記を書くことと、日記を読むこと。
  僕がこうやって長年(といっても4年程度だが)書いていると、その2つにど れだけの関係性があるのか(あるべきなのか)をよく考える。僕は公開すること つまり読まれていることを前提に書いている。荷風がどうであったかはわからな い。

  僕の日記の読者のことを考える。
  僕も人様のウェブ日記を多少は拝読している。そのとき、

「こういう日記を書く意味、僕が読んでいる意味はなんだろう?」

という疑問を感じる。特に答えはない。荷風は、後世の人たちが自分の日記を読 んでいることをどう思っているのだろうか。文語文の読みにくさを覚悟できる人 にはオススメの本。


  プールへ。
  今日が初泳ぎ。去年は曜日と仕事の関係で1月9日だった。プール自体も今日 が今年初の営業日で、混雑している。こんな時期に来るような人たちだから、

「おれ、運動が全て。筋肉が全て。プロテイン飲んでますから!」

みたいなマッチョな人が多い。ロッカールームには何となく真剣勝負の場みたい な空気が流れている。空手や柔道の道場とは違って、「強く見える」ことに主眼 があるから、かえってヘンな空気になるのでしょう。

  もっとも、僕はそういう系ではない。
  ただ運動ができればいいだけ。クロールと平泳ぎの比率が7:3くらいで600メ ートル。クロールが未熟なので最近はやや絶対量が少ない。久しぶりのわりには クロールも順調。体重は64.7キロ。去年の初泳ぎのときより0.5キロほど重いから 、もう少し調整しないと。


  昼食はうどん屋。
  営業しているのかどうかわからない感じの店。お昼過ぎで混んでいることもあ るのか、掻き揚げうどんが出てくるまで22分もかかった。測るなよ。味はたいし たことなし。ツユが甘ったるくて閉口。1年に1回で充分でしょう。

  急ぎ帰宅して布団を取り込み、出勤の準備。
  一応は初仕事だし晴れてるしというわけで、授業衣装はスーツ。洗濯も着脱も 面倒だけど、すでに多忙期も去っている。授業に向く服装ではないが、スーツを 着ること自体は好きだ。俺は働いているのだ、という気分にもなれる。

  想定される疑問または質問。

「ふだんは、仕事っていう意識はないんですか?」

  あんまりない。通勤途中は労働気分で、教壇に立つまでが仕事気分で、授業が 始まるとただの生活の一部という感じがする。


  校舎へ。
  一応は新年なので、それらしき挨拶なども。礼儀は大事にするけれど社交辞令 は嫌いなので、適当に。とある某科目某講師にトイレで出会う。彼はアサガオに 向かって××××をしながら、

「信原先生、今年もよろしくお願いします。こんなカッコで言うことではないで すが」

とのこと。すげえな。でも、このくらいで問題ないと思う。


  授業は順調。
  2クラスとも出席率は変わりなく、あわせて98%くらいかな。センター試験前 だからヒキコモリなんていう勘ちがい系の生徒様がいなくて良かった。もっとも 、これが来週あたりになると怪しくなってくるものではある。ところで、Cクラスの人は、広辞苑という辞書で「記号」という項目を調べておくと、今日の長文の理解が増すと思うよ。小さくヒント。

  帰宅の電車は空いている。
  やはり今日も有給消化で9連休というサラリーマンが多かったのでしょう。こ れもいつも書いているように、

サラリーマンは休暇の量が少なすぎる

と思う。正月、GW、お盆でそれぞれ9日間も休めれば幸せ、というのがせいぜ いではないか。貧乏な日本が必死に働くこ とで豊かになっていくというイメージを大事にしている経営者が多すぎるのかも 。

我慢が大切、ヨイショが出世の秘訣、休まないことが金科玉条、

なんていう労働観はさっさと消えるべきだ。もっとも、現状は10年もすれば変わ っていくだろうし、変わらないならバカである。いや、バカが多いからしょうが ないのかな?


  夕飯はギョウザ鍋。
  いわゆる1つのシノギ飯。お金ないのよ。鶏ひき肉にヤマト芋のスリオロシを 和えてツミレにしようとしたら、グズグズになってツミレにならず。鶏がらダシ のスープにやたらと粘り気が出て、これはこれで野菜に絡んで旨かった。この粘 りを利用して別の料理ができそうな気がする。いつもヒントは転がっている。
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