各ページのご案内はコチラ
Copyright (c) 2004
takeshi nobuhara All Rights Reserved.
|
|
|
屍(しかばね) |
4月8日 |
|
9時48分起床。
・「2歳以下の子どもは〜することができない」という意味になりそうな整序問
題を解説していたら、「肉の塊を恐怖にすりかえるのは数UB」とささやかれ、
いったいどういう前後関係なのかと疑問に思っていたところ・・・
という夢だった。数UBが出てくるとは意外だった。
寝坊。
今日から将棋の名人戦が開幕し、9時から10時までTV中継があったのだ。チ
ラッと見ると20手近く進んでいた。各9時間持ちの2日制なので早い進行。森内
俊之18世永世名人に挑戦するのは2冠の羽生善治。羽生が7番勝負で先に4勝す
れば永世名人の権利を獲得する。
名人戦での両者の対戦は5回目。
ここまで2勝2敗。この「よびわる」が始まってからは、2004年と2005年に両
者が戦っている。羽生は森内に永世名人という呼称に限っては追い抜かれてしま
ったわけで、ここはどうしても勝って追いつきたいだろう。僕は羽生ファンでは
あるけれど、それほど羽生の勝ちに執着することはない。将棋は面白い内容であ
ることが一番だからだ。が、
今期の名人戦ばかりは全面的に羽生を応援
させていただく。森内許すまじ!
午前中から午後にかけて授業準備。
今日は(やっと)本腰を入れることができた。プリントも含めて、明日の朝か
らでも授業ができる状態になった。ただし、1週目のぶんだけ。今の時点では、
せいぜいここ1ヶ月くらいの授業展望があるくらいで、もう少し中期的(夏期講
習の終わりくらいまでかな)の展望を準備したいところ。
今年度は去年より1コマ増えている。
土曜日の4限(16:40〜)の「入試英語実戦ゼミ」だ。この講座は2006年度まで
担当していて、2007年度にテキストが全面改訂された。つまり事実上は初めて担
当する講座になる。QクラスとFクラスという、4レベルの上位2クラスの生徒
様が対象になる講座で、そこそこ難しい。
設問がバラエティに富んでいる。
第1回は、文整序、本格的な英作文、正誤問題。第2回は、下線部和訳、パラ
グラフ整序、条件英作文。本科のテキストではあまり出てこない形式のものを集
めたらしく、面白そう。ほとんどがイワユルMARCHレベル以上の大学の問題
で、この時期に生徒様が予習できるかな、というのが心配なところ。受講する人
は相当に時間をかけて予習してください。
お昼にパスタ(レトルトのぺペロンチーノ)を食べた。
夕方の2回目の昼食は味噌ラーメン(具はメンマとネギ)。コーヒーを2杯と
紅茶を2杯。そうそう、朝食は昨日の鍋の残り汁でおじや(具は卵としめじとネ
ギ)を作った。夕食が外食なので、いろいろ作ったわけ。
夕方にはまたTVで将棋を観た。
今年からルール改正で、初日の封じ手は6時半になったとか。去年より1時間
遅くなった。2日目の夕食休憩も30分に短縮されたから(去年までは1時間)、
終局を明日の9時前後にしたいという配慮だろうか。と書いたら、TV中継でも
同じことを言っていた。
午後にはヒミツの花園。
今日の日記はわざと時間軸を無視して書いている。外は春の嵐。雨も強いが風
も強い。換気扇に風がぶつかる音がずっとしていた。あまりにも激しいのでプー
ルはさぼった。かなり寒い。10℃くらいじゃないか。今日はずっとヒキコモリで
、夜に外出予定あり。ちなみに今のリアルタイムは夕方の5時半。
エッセイも書いたし、本も読んだ。
『し』原田宗典を読了。
ややお笑い系エッセイ集。
題名は「平仮名1字でいちばんたくさんの意味をもつものは?」と調べた結果
に由来し、「子」「歯」「死」「姿」「氏」などのタイトルを与えられた、その
漢字に由来するエッセイが並ぶ。
著者は90年代半ばあたりまで、非常に面白いエッセイを書いていた。
自意識過剰・困惑系とでも言うのか、過去や現在の情けない自分を題材にした
自虐エッセイだった。しかし、たしか10年くらい前にうつ病を発症して、その後
は執筆活動が停滞したように見える。エッセイの出版も少なくなった。本書は久
しぶりに見かけた文庫のエッセイなので買ってみた。
残念ながら、面白くなくなった。
年をとって精神的な落ち着きが増してきたとも言えるが、輝くような抱腹絶倒
の笑いを提供できなくなってしまった。作家だって人間だし、人は変わるもので
はあるけれど、こんなはずじゃなかったよなあ、というところ。
何が悲しいかと言って、辞書に頼った文章になったこと。
題名の由来から言って辞書の記述から入るのは当然だし、それ自体はアリだと
思うにせよ、
辞書にはこうあるが、しかし実は・・・
なんていうのは、ジジイの文章だろう。本書やこの著者以外にもよくあるのだが
、「広辞苑を引くと」とか「新明解では」(注:どちらも有名な辞書)なんてや
りだすのは、創造性がなくなってしまった証拠じゃないか。
辞書に良いこと、知らなかったこと、盲点になっていることが書いてあること
はよくわかる。
辞書は人間の叡智であり、それどころか崇高な存在ですらあることもよくわか
る。辞書を読んで新しい発見があるのも事実。しかし、そんなありきたりなこと
を、創造性を売り物にする作家が書いてどうする?
辞書(一般)→しかし→以下主張(特殊)
なんていう論理展開で金が取れるのか。シロウトのブログか、カルチャースクー
ルの文章教室か、新聞の投稿か。辞書の記述を盛り込むことが権威主義だとまで
は言わないけれど(少し思ってるけど)、辞書の内容を知りながら何も知らない
フリをして創造性を発揮するのが、プロの作家の仕事じゃないのか。
もちろん、本書の感想で僕が言いたいことは辞書の悪口ではない。
彼の中から出てくる、さんぜんと輝く文章の強さが、原田から失われてしまっ
たという失望だ。こんなつまらないエッセイを書く人ではなかった。ということ
で、原田のエッセイは古いものに爆笑ネタが多いので、古本屋などであたってみ
てください。
お風呂に入ってから外出。
予備校関係者と飲む。ちょっとオシャレなエスニックの店で軽く、10年ほど前
からときどき使っていた居酒屋Kで重く。看板娘のKさん(田中麗奈似)はまだ
働いていたけれど、もちろん接点もなかった。
話題は過去に関するものが多かった。
僕も彼も未来に関するネタを振り続けたけれど、どうしても話題は昔に戻って
いった。昔の旅の話、昔の仕事の話、昔の恋人の話。昔は良かったというジジイ
のネタが続いてしまう。僕も彼もそれを避けようと努力した(はずだ)けれど、
年を取るってこういうことなんだろうか。
お互いに四十路(よそじ=40歳代)前後で、人生も後半なんだなと自覚する。
楽しかったのに、個人的には、恐らく彼にとっても、つらい時間だったかも。
申し訳なく思い、自分を責めたくなる。そして恐らく、彼も同じ気持ちだったか
もしれない。
もっと、未来を語らねば。
未来に、期待しなければ。今の自分は過去の自分があるから存在している。そ
んなことは充分に承知している。でも、
未来に希望を託せないなんて生きる屍
ではないか? そんなことを考えながら、この日記を書いた。負けてたまるか、
勝負はこれからだ! |
|