各ページのご案内はコチラ
Copyright (c) 2004
takeshi nobuhara All Rights Reserved.
|
|
|
親の気持ちはわからない |
4月27日 |
|
ひゃあ、寝坊。
もう10時半だわ。
TV将棋が始まっているじゃないの。
普通の口調に戻す(3行で飽きたw)。
へんに雑事ばかりこなす1日だった。特別なトピックを探すのが大変だ。いつ
も同じようなことしか書いていないし、細かいばかりの家事の話題が多くなりそう。加
齢臭がきついオヤジというのはイヤなものだが、
生活臭がきつい日記
というのも面倒なものだ。毎日のように読んでくれている読者には感謝する。毎
日書いている人の次に偉いと思う。
将棋は若手2人の対戦。
60手くらいまで定跡があるという典型的な将棋で、感想戦が非常に特殊だった
。若手の研究の速度が非常に速くなっていて、「これはもう(ほぼ)結論が出て
いる」という話題が多い。コンピューターの発達のために、棋譜のシェアがほぼ
リアルタイムになり、詰みまでの手順が早く発見されるようになったためらしい
。
視聴者に配慮しながら感想戦を行うのが若手の特徴。
とりあえずどういう結論になっているのかを、実際にコマを動かして2人で解
説してくれる。タイトル戦のような深みのある対局も良いものだけど、こういう
シンプルな、アマチュアにも理解しやすい将棋も良い。
バルコニーの掃除。
完全に枯れたフリージアの花を捨てる。葉の部分はまだ青いから放置していい
んだっけかな。よく覚えていない。3つの鉢はほとんど全て花をつけた。つまり
今年度は無事に球根の増殖に成功したと言える。これから秋にかけて土の中で球
根が太ってくれることを祈るのみ。おそらく球根の量がかなり増えたはずなので
、球根を分けて欲しい読者様はメールをください。飼育方法が非常に簡単で、
桜と同時期にきれいな花が咲く品種
です、フリージアは。よくある倒置文で失礼。
ついでにガーデニングをやろうかと考える。
室内のサンセベリアの植え替えをやらなければいけないのだ。しかし植え替え
時期は5月中旬からということで見送り。同じく室内のポトスもやらなければな
らないし。緑がある生活は気分のいいもので、そのぶんの苦労はある。
第3回衣替え大会。
やっと夏服を全て取り出すことができた。夏用のパンツを履きだすのはGW明
けになるだろう。まだアイロンかけてないし。アイロンと言えば、4月22日に発
掘した62着のぶんが済んでいない。今日は9枚くらいかけた。くる日もくる日も
アイロンがけというのはなかなか辛い。カライではなくツライ。カラくてどうす
る。
朝から曇り。
午後になって、何とか洗濯物が干せるくらいの晴れかたになった。お昼ご飯に
パスタを食べた。エリンギをゆでて市販の明太子ソース。わりにどうでもいい感
じに作ったら、実にどうでもいい味に仕上がった。料理って正直だ。本も読んだ
。すこし長い感想文で失礼する。そのつぎは外出して呑みに行く話題です。
『脳内汚染からの脱出』岡田尊司を読了。
ゲーム・ネット依存の問題を取り上げ、現状と対策を語る本。
同じ著者の『脳内汚染』がヒットしたということで(したのかな?)、より庶
民向けに一種の新書バージョンを用意したものらしい。ありがちだが、まあまあ
好著。
もし本書の内容をごく単純に要約すれば、以下の通り。
・ゲームやらネットやらは脳に悪い。特に成長期にある子どもにとっては、それ
らを与えるのは麻薬を与えるのと同じようなものである。それは脳科学の進歩に
より証明されつつある。予防するにはどうするか、仮にすでに脳が汚染されてい
るとしたら抜け出すためにはどうするか。
ここまで単純化すると著者は怒るかもしれないけれど、そういうことだ。前著
である『脳内汚染』でも紹介した理論と、2年後に出版された本書とのタイムラ
グで生まれたより進歩した理論が紹介されている。結論を先に用意して「我田引
水」的なデータを紹介するのは、この種の本の常套手段で、今さら批判する意味
もないだろう。詳しいことを知りたい人は読めばいいし、
「まあ要するに脳に悪いんだろ」
で済ませたい人は読まなくてもいいでしょう。
個人的に、脳科学の進歩は危ういものではないかと僕は考えている。
以前から書いているように、進歩のスピードが速すぎて定説が完成しきってい
ないと言えるからだ。本来的な意味で真偽がハッキリするにはもっと時間が必要
だし、「こういう発見があった→だからこうしよう」と飛びつくには危険な段階
だと思う。
ただ、この時期尚早という(これもよくあるものだと思うが)意見に対して、
著者は「おわりに」で警告している。
喫煙と肺ガンの関係だって、ほんの100年たらず前には科学的根拠がないとされ
ていたではないか、というのだ。
>そもそも、百パーセント完璧な立証など、臨床科学の世界においては存在しな
い。複雑な要因が絡む問題になれば、統計的な処理で決着をつけるしか、判定の
しようはないのである。
>この問題でも、また同じことを繰り返そうというのであろうか。ひたすら時間
稼ぎをするつもりだろうか。しかし、そんなことをしていたら、小さな子どもは
、老人になってしまう。その間に、失われたり壊された人生はどうなるのだろう
か。
それなりに納得できる説得だろうか。
このあたりの文章はゲームやネットを主導する団体(企業)に向けてのメッセ
ージだと思われるが、僕のような一般の人にも充分な説得力を持つ(しかし非論理的である)。それでも、
信じるか信じないかは読み手に任せられるとは思う。僕としては2割の懐疑、8
割の信頼というところ。
というのは、ゲームに関しては「まあそうだろうな」と思わされることが多い
からだ。
2007年あたりから携帯用ゲーム機は爆発的に普及したようで、電車の中ではケ
ータイをいじる人よりゲームをしている人が多い、なんていう場面を見かけるこ
ともある。その、ゲームをしている人。
目がいっちゃってませんか?
集中して画面を観る必要があるのは当然として、忘我の表情になっていません
か。
電車の中(でなくてもいいけど)でケータイをずっといじっているのも「少し
頭おかしいんじゃないの」とは思うけれど、ゲームに熱中している人に比べれば
可愛いものだ。ハッキリ言うと、ゲームをしている人には、「少し」の部分をパ
スした表現を使いたくなる。ずばり書くのがためらわれる表現になりますね(-_
-;)
そのゲーム中の脳の働きがどうのこうの、という話題は本書に任せる。
そこから生まれる人格の崩壊その他についても同じだ。最後に、もし本書を読
むように僕が勧める読者様がいるとすれば、子育て中の人である。いやいや真面
目に、この本を読んだら自分の子どもにゲームを買い与えるなんてことはできな
くなると思いますよ。ゲームやネットだけが悪いなんてこともありえないとは思
いますが、まあとりあえずは。
外出。
家族の1人が僕の家の近くを通るのでたまには外で呑むか、というお誘い。何
か説教でもされるのか(おまえたいがいに結婚しろ等)と思ったけれど、そんな
こともなし。
男の親子というのはわりに会話のないもので、これといった話はしない。
このような一般化が正しいのかどうか知らない。でも、仮に僕に息子がいたと
ころでやはり会話は少ないだろう。興味がないわけでもないし、関心がないわけ
でもないけれど、とくに干渉したくもないというか。親になっても、「男の子ら
しさ」が残るのが男性性のような気がするけどどうだろう。
こういうことを言うと、親の身になってみなければわからないだろう、と非難
めいた説教をされる。
実にその通りだ。まったく想像が及ばない。また同時に、親に(今のところ)
なれなかった立場としての言い分もある。親になるという経験をしなかった経験
がこっちにはあるのだ。別にどっちが正しいとかいう問題ではなくて、
それぞれの人間はそれぞれの「経験」によってのみ、ものを語っている
ということだ。親には親の言い分があるのは当然のこと、とも言える。
もちろん僕は自分の親とそういう話はしない。
親子には、お互いが越えられない強固な壁があって、それを越えようとすると
面倒で不毛な事態が発生するからだ。真実かどうかはわからないにしても、僕は
その事実の存在を10歳くらいのときに悟って、できる限り親とは議論をしないよ
うにしている。ゆえに親子ケンカの経験もない。
親からすれば「なんか変わった奴だな」となるだろう。
実際に、間接的に
「お前は基本的に思っていることを話さない奴だな」
と言われたことはある。それで傷つくようなことはない。だってそうしているの
だから、それが伝わっていて良かったとさえ思う。今日は焼き鳥をご馳走になっ
た。
わりに早い時間に帰宅。
洗濯をして、またまたアイロンをかけて、軽く酔いを醒ましてからこの日記を
書く。文章が長いわりに中身が薄かったかもしれないな。
|
|