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23年目の別れ 6月1日


  10時起床。
  布団と洗濯物を干して、午前中はTVで将棋を観ながらHPの月替わり更新作 業とアイロンかけ。これからの1ヶ月間はこういうルーティーンが続くだろう。

  お昼を過ぎてから昼食を買いに出る。
  ついでにスーパーによって食材の買い足しとお酒の買出し。先月は少し倹約モ ードだったので日本酒をあまり買わなかったから楽しい。日本酒の1升瓶1本と ワイン1本で4,000円。ワインは高いものを買わない主義(上限1,500円)なので この程度で収まる。日本酒は3,000円以下がルール。


  悪くないしらすご飯弁当を食べたら、もう午後だ。
  ヒミツの花園。梅雨の晴れ間のような気持ちのいい晴れ方。発表こそないけれ ど、じっさいには3日前あたりから梅雨入りしているような気がする。本も読む 。

  『「水」の安心生活術』中臣昌広を読了。
  保健所勤務の環境衛生監視員による、水に関する雑学本。
  汚染された水、おいしい水、プールの水、結露、雨水利用といった水に関する 幅広い話題が取り上げられている。だから何だといえばそれまでだし、特別な感 想が残るといった本ではないし、取り立てて書くべきこともない。雑学ものとし てはまあまあ、といった程度のオススメ度。


  椅子の到着予定は3時から5時。
  と思ったら業者の都合で遅れてしまった。配送系の時間厳守は、まだ宅配便く らいだろうか。それでも、時間の幅を指定できるようになったのは進歩かな。5 時半。さあ、椅子が来ました。

  いわゆる事務机用の椅子だ。
  トップページの現在の写真にあるものを買い換えたのだ。中学生のときから使 ってきた愛用品だけど、この10年くらいは唯一のアジャスタである高さ調整がで きなくなってしまった。惜しいけれど、寿命だろう。業者に引き取ってもらう。 それなりに思い出がしみついているはずで、さみしい。


  新しい椅子だ。
  上記の事情でずっと買い替えを考えていて、新居祝いに母親が買ってくれると いう話だったのだ。もちろん一緒に買いに行くわけにもいかず、僕が自分で買っ てきてあとでお金をもらう方式。

  当初の予算は3万から5万くらいだった。
  しかしまあ自腹でもなくなったということで、充分に満足のいくものを選んだ 。革張りとかそういう趣味の椅子ではなく、デスクの前にきちんと据えてそこで 何かをするための椅子だ。

・座面の高さ/リクライニング
・背もたれのリクライニング(及びその硬さ)
・ひじ掛けの高さ/角度

が調整できる。他にも何かあったけど、まだよくわからない。ヘッドレストがな いことをのぞけば、ほぼ理想かと思われる。さて、お値段。


92,400円。

  ひぃーッ!
  たかが椅子にこんな金かけていいのかよ。ママ、ごめん。たけし、いけない子 あるよ。どこの人だ?

  座り心地はもちろん非常に快適。
  いまもまさに座ってこの日記を書いている。今までパソコンに向かうときは、 ずいぶんと前傾姿勢だったのだなぁと気がつく。背もたれと座面が腰まわりをキ ープしてくれるのがわかる。とうぜんながら腰痛対策になるものを選んだのだ。 少し大きすぎて重過ぎるのが欠点かな。


  ここまで椅子の到着直後に書いた。
  考え事がしたくなってパチンコ屋に行く。捨ててしまった椅子のことを考えた い。パチンコをしない人にはわかりにくいが、あれは

孤独になりたいときに行く場所

だ。少なくとも僕にとっては。独りで暮らすことは孤独ということではない。全 然違う。どうしようもないくらい孤独になりたいとき、つまり自分だけと話をし たいときに、たとえば僕はパチンコを打つのだ。楽しいだけ、というものでもな い。

  大河ドラマもパスして、3時間半ほど打った。
  11,500円負け。そんなことはどうでもいい。金なんか、いつでも取り返せる。 帰宅して風呂に入り、夕食を作る。ホタテの刺身を切り分けながら、ブナピーと 水菜のサラダを作りながら、食べながら、呑みながら、いなくなってしまった椅 子のことを考える。


  そうだ、高校受験の年だった。
  僕はそのときまで学習机に付属するプラスチックの椅子に座っていた。水色の 、小学生が使うような椅子だ。あのときも、高さ調整のアジャスタがおかしくな ったのだ。受験をするから、勉強するからということで親が買ってくれたのだ。 たまたま僕の兄弟も受験をする年度で、同じものを色違いでそろえたはずだ。僕 が黒で、兄弟は赤だった。

  高校2年生のとき、文化祭でハッピを作った。
  僕はそれを椅子の背中にかけたまま放置した。ナイロンか何かで作られたハッ ピは、磨耗してボロキレのようになっていった。綺麗ではないが汚いわけでもな く、僕が大学3年生くらいになるまで、そのハッピは放置された。椅子の背中に かけられないほど磨耗したときに、捨てたはずだ。


  そうなのだ。
  僕はこの椅子に座って高校を受験し、大学を受験し、独り暮らしをするように なって実家から持ち出したのだ。アパート暮らしをしているときは、やはり小学 生のときから使っていた学習机の前において使った。旧居に引っ越してからも、 ダイニングに用意したテーブル(これも今のトップページに写っているそれです )の前に置いて使ったのだ。

  いつも一緒だった。
  授業準備だって、この日記書きだって、みんなこの椅子から「生産」されてき たのだ。この椅子に座ってラブレターを書いたこともあった。ラブメールだって 書いた。リアル授業のアドバイスプリントだって書いた。もし僕が今までに、あ る種の知的生産をしてきたとすれば、それは全てこの椅子からスタートしたのだ 。

  旧居にいた去年の今ごろまでは、この椅子に座って食事もしていたのだ。
  少なくとも、

僕が持っている家具で最も長い付き合い

だったのだ。僕は、今日それを手放してしまった。あんなに、真剣に愛していた のに。


  感傷はやめよう。
  さようなら。できるだけ、覚えておくよ。僕はこれから、新しい椅子と新しい 人生をスタートさせるから。そうなるものだから。そうあるべきだから。でも、 きっと、忘れない。さよなら。


追記:「自己紹介」を定期更新しました。
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