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文学部の道具箱 6月30日


  5時過ぎ起床。

・センター試験の会場は神奈川県。友人と一緒に大きな駅で乗り換える。ガラガ ラの構内を歩く僕はスーツ姿で、黄色いネクタイをしている。ふたたび新杉田駅 で乗り換え。さて友よ、君と僕は同じ受験会場だったっけ?

という夢だった。3時半に目覚めて眠れなくなったのだ。どちらもイイカゲンに して欲しい。きっと読者様も同じように思っているだろう。


  昨晩、ケータイにメールが来ていた。
  といっても僕は10時半には寝ていたし、枕元にケータイなんか置かない。業界 関係者からであった。どうやらこの業界、

断末魔というコトバではもう遅いくらい

じゃないか、という論調。そうか、やっぱなあ。だからと言ってどうすることも できないのだが。8時過ぎくらいにPCから返信しておいた。ケータイでは100文 字以上打つのはムリ。


  午前中、というか朝は授業準備。
  普通の言葉でいうと予習だ。何が楽しいかといって、予習に勝るものはない。 新品のテキストを入手して、さあ片付けてやろうという意気込み。今年の自分は どういう授業ができるだろうか(あるいはできないだろうか)というワクワク感 。現実に授業をする頃には暑いし、しんどいし、こっちが懇切丁寧・用意周到に 用意した授業を展開していると

ヤル気全開の生徒様がたくさん

いたりして、けっこうウンザリしたりする。予習をしているときがいちばん盛り 上がっているかも。


  そういえば、受験生の時もそうだった。
  講習のテキストを受け取ったときが圧倒的に盛り上がった。さあ予習をしなき ゃという意気込み。どこまで解けるだろうという勘ちがい。これをマスターすれ ば大学でパラダイスだという思い込み。あれほど気分が高揚したときはない。

  そうだ、予習がいちばん楽しかった。
  授業はその次くらいだった。なんだよ俺の予習なんてカスじゃんと打ちのめさ れて帰宅するときがつらかった。帰りの電車の中でテキストを広げ、自分の無知 を恥じた。そして何より、復習がつらかった

授業時間の10倍くらいは

かけた(そのくらいは当然すぎるが)。同じことをひたすら反復するのが、精神 的にも肉体的にもしんどかった。やっぱり予習がいちばんだといつも思っていた 。昔話はここまで。


  本も読んだ。


  『森博嗣の道具箱』森博嗣を読了。
  「日経パソコン」という雑誌に連載された道具に関する短いエッセイ集。
  道具の詳細を語るのではなく、道具をもって何を考えるかを語る、この著者ら しい好著。

  道具は大切だということは、僕もよく日記に書いている。
  ちゃんとした道具があることでやる気がでるし、実際に作業は順調に進むし、 何よりもその道具を手にすることで最初のやる気が維持できる。適切な道具を持 たないことで、意欲や能力が拡大できないとするならば、道具を持たない自分が 愚か者なのだ。

  ずいぶん昔に、2浪生を教えたことがあった。
  偏差値40。相当なお利口さんである。2回目の授業が終わったあと、僕は彼を 呼び出して説教した。

「シャーペンとマーカーペン2本と赤ボールペン。これを揃えてこないなら授業 に出るな。出ても無意味だ。お前みたいに頭の悪いやつが、道具なしで何かを考 えられるわけがない」

  10ヵ月後、彼は明・法・中・学(めいほうちゅうがく:明治・法政・中央・学 習院の総称。今は死語)の1つに進学した。
  進学が決まってから、彼は僕にこう言った。

「おれ、筆箱もったの小学校以来でしたよ。けっこうアレって大事なことだった んですね」

  本書の感想文に話を戻す。
  森の発想はもちろん僕の先を行く。

>道具や手法ではない。工夫や忍耐など、単なる道筋に過ぎない。人がものを作 るときの最も大きなハードルとは、それを作る決心をすることだ。自分にそれが 作れると信じることなのである。それさえ乗り越えれば、もうあとには、努力と いう誰にでもできる退屈なルーチンが待っているだけだ。そして、完成させるこ とで証明されるのは、最初の決心の正しさにほかならない。

  読み手に考えさせるエッセイが上手な作家である。
  道具のことを書きながら、著者の視点は道具を持つ前の段階にあったのだ。動 機が先にあって、あとから道具がついてくる。動機のほうがはるかに重要なはず なのに、道具のことをエンエンと書いているのだ。「奥歯にものが挟まったよう な」書き方ではなく、テーマを隠して読者に探らせる(それだけ読者には思考力 の行使が求められる)という巧みな文章である。人によっては嫌いかもしれない が。

  欠点があるとすれば、文庫で1,000円という高額さ。
  全てのエッセイに写真がついているので仕方がないとは言えるが、商品として どうなのかなあという気はする。紙の質も写真も全く文句なしなんだけどね。よ ほど内容の面白さに確信を持てないと買えないんじゃないか。立ち読みで自分と の相性を見定めたうえでの購入をオススメします。


  銀玉店にも顔を出した。
  先日書いたように連勝が止まらない。今日まで5連勝は新記録。どこまで行け るだろう。

連勝は負けなければ止まらない。

いつまでも勝てるわけもないので、うまく負けてこなければいけない。恋には必 ず終わりが来るように、連勝も終わる。終わらせるのも勤めだ。今までも終わら せてきた。

  だから出かけた。
  う〜ん、これじゃあ普通すぎるか。ではこうしよう。

負けるために連勝してきた。

これでどうだ。どうだと言われても困るかも。銀玉遊びなんてのは負けるために やるのであって、止まらない連勝を味わうためにやるものではない。もう20年以 上も打っているから、そういう不文律は知っている。負けてこなければ。大丈夫 、きっと負けられるさ。


  結論から書く。
  6連勝達成。どうなってるんだろう。最悪の時点はマイナス19,000円。まさに

「5連勝も意味がなかった(それで良かった)」

と思ったところから逆転してきた。負けた話題じゃないと読者様の不興を買うの だけど。すまない。3,500円プラス。賭け事で勝つ金は少額で、失う時間は多すぎ て、働いたほうがいいじゃん、なんて思う人間にはなりたくない。そんなの、保 守的な弱虫の発想だ。時給は600円を切ったにせよ、だからこそ楽しいのだ。労働 がいちばんだなんて思うようでは、

文学部出身者としては負け

だろう。いま、激しい反感を買ったと思う。ごめん(^^ゞ


  ちょうどスーパーが閉店間際だった。
  ゆえに夕飯には刺身を準備できた。クエハタという魚。ふだんは高くて買えな いと思っていたけれど、半額だったのだ。タイとヒラメをかけあわせてマグロの 脂身を足したような味。そんなに旨い魚ではないように思えたけれど。今日で今 年も折り返しになった。
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