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わかりやすさが肝心 12月16日


  9時半起床。
  昨晩は就寝が遅くなってしまった。ウェブでいろいろと検索をしていて、しか もウイスキーをちびちび飲みながらだったものだから、かなり泥酔したようだ。 オトナなら経験があると思われるが、

深夜+飲酒+ウェブ=大量時間消費

という公式を証明したことになる。ウェブってのは極めて便利な道具だと今まで 何度も書いている。が、あの

検索及びその比較にハマる

時間には麻薬性があるとすら思う。忘我の表情でPCに向かっていたかと思われ る。


  調べていたのは、旅行である。
  昨日の日記を書き終えて、「ちょっとヒマすぎるんじゃないか、何とかしない といけないんじゃないか」と反省してしまった。反省に「してしまった」もない ような気はする。思いついたのは、将棋の竜王戦第7局(17〜18日)を

現地=山形県天童市で観戦

しようかということ。寒いし、山形は温泉が多いし、対局会場では大盤解説会も あるし、山形には何回か行ったことがあるから土地カンも多少はあるし、新幹線 を使えば4時間もかからないで行けるし・・・。


  けさ起きてみてから、やめることにした。
  あぶなかった。いくら何でも、将棋のためだけに、たとえ羽生先生の永世七冠 がかかっていても、1泊ないし2泊の旅行で(想定)5万円も使っている場合で はない。今は無職=無収入の日々であったのだ。

  昨晩、酔った勢いで宿の予約をクリックしそうになり、しかし

「いや、酔っているときは判断力が落ちているはずだから」

と思いとどまってよかった。
  酔った自分を信用しないというのも、僕の数ある人生訓の1つだ。酔っている 自分は実は自分ではないと考えるくらいでちょうどいい。皆さんにもそういう記 憶があるだろう。酔って意気投合して後先かんがえずに、友だちの彼女とついエ ッチしてしまったとか・・・。

「せんせぃッ! そうゆうことやってたんですか!」

やってないってば。ま、とにかく旅行は取りやめ。ここまで朝食後に書いた。


  二日酔いの症状はなく、ふつうに過ごす。
  プールだヒミツの花園だ授業準備だ読書だと。判で押したような日々だ、では 「ハンデオシタ」の意味がわからないだろう。まるで永井荷風の晩年の日記のよ うだ、でもわかりにくい。浜崎あゆみのヒット曲メドレーのようだと書けば反感 を買う。寒いけれど好天気。とりあえず読書感想文。


  『月と菓子パン』石田千を読了。
  下町(?)暮らしの何ということもない日々を描くエッセイ集。
  ダメ本。

  随想風である。
  昭和50年代の随筆の雰囲気というのかな。どうでもいいものごとの中に何かを 見つけて、何でもないふうに書いていく。ひらがなが中心で描写が多く、感想や 意見はすくない。自分で書いてみればわかるように、こういうものには極めて高 い文章力が必要とされる。プロの物書きに対して失礼だが、この著者にはそうい う力がない。

  文章がひどい。
  省略が多すぎて、何のことを言っているのかわかりにくい。本書とは逆に、う まいエッセイにはパッと読んでパッと内容が見えるものが多い。情報に富んでい るが、情報が読み手にすばやく伝わる。精読させるまえに、「こういうことが書 いてあるんだな」と読者にわからせることが必要になる。情報の整理ができてい るから、かえって精読してもらえるものだろう。まあ、時代の流れもあるとは思 うが。

>うちのおじいさんは、ビアク島というところで戦死したから、おばあさんの足 腰が丈夫で東京に遊びに来ていたときは、いい着物を着て、いい手さげを持って 靖国神社に来た。

  何を言っているんだか、わかりますか?
  そりゃ、よく読めばわかりますよ。戦死したからおじいさんは靖国神社に祀ら れていて、おばあさんがお参りにくるわけですよね。でも、「うちのおじいさん は」で始まっておいて、「靖国神社に来た」で終わるから、誰が靖国神社に来た のかわからない。おばあさんを主題に設定して、あとからおじいさんの説明を加 えれば読みやすいかと思う。

  さらに困るのは、文章中で書き手がどこにいるのかハッキリしないこと。
  上記の引用文は「九段あたり」というタイトルが与えられていて、この直前に は「おじいさんにあいさつをして帰る」とある。つまり読み手は「書き手は靖国 神社にいる」という設定でこの文章を読み出したところなのだ。しかも、この直 後。

>最後にきたのは、十年まえで、鳥居から本殿に行くまで、何度も腰かけて休ん だ。

  えーと。
  おばあさんは足腰が丈夫でなくなった、と前の文にあるから、ここの「最後に きた」のはおばあさんでいいんですね? じゃあ、著者本人はどこに出てくるの ? この引用部分だけが回想になってる、ってことでいいんですか?

  文章を部分的に取り出して批判するのは良いことではない。
  だから、僕がいま書いたことには公平性が欠けていると思ってもらってかまわ ない。でもこの本、読者に「察してもらおう」と甘えすぎていると思う。おとも だちに読んでもらうことだけが前提になっているミクシィの日記じゃないんだか らさ。こんなんじゃお金とれないよ。昔からよくある、行間をよみなさい的スタ ンスというか。行間なんて白紙だと思うんだけどね。

  しかしながら、この手のダメ本にもメリットはある。
  文章の書き方を学べるということだ。

1、情報は常に整理するべきである
2、読み手は書き手のことを知らない、という前提で書くべきだ
3、読み手を意識することが書き手の義務である

ということで、本書はどなたにもオススメしません。


  そうそう、年末ジャンボという宝くじを今年も買った。
  人生で2回目か3回目の購入。いずれも3,000円で10枚だけ買っているはず。1 回、3,000円と300円に当選して1割も儲かったと書いたかもしれない。仮に3回 買ったとすると、

9,000−(3,000+300+300+300)=5,100円

のマイナスということになる。式の立てかたはこれでいいのだろうか。

  年末ジャンボのニュースとなると「庶民の夢」なんて報道されるけど、あれは やめて欲しい。
  宝くじを買うのは夢を買うことではなく、ただの寄付だ。使用目的は忘れた。 みんなで寄付をして、ほんの1握りの人だけが買った金額以上の還付金のような ものを貰う、ということになる。

  そんなものを「夢」なんて呼ばれると、

あんたの夢ってそんなに小さいのか

と反論したくなる。
  夢だったら「石油王になりたい」とか、せめて「あおいを嫁に迎えたい」とか 、現実味はないけど可能性だけは残されていて、さりとておそらくムリなことで あってほしい。お金なんか、夢としては小さすぎる。

  ちなみに、僕が宝くじを買う目的は住宅ローンの完済である。
  ポーンと大きい金額を当てて、それで借金がなくなれば2度買うことはない。 そもそも寄付が好きではないから。でも、宝くじの高額当籤(とうせん=クジに 当たること)って人に話すと危険だから、当たってもここには書けないかも。友 だちをなくし、知人からたかられるのが目に見えている。そういえば1年くらい 前にそういう殺人事件があったなぁ。ポーンと当たりますように(*^_^*)


  ヒマなので今日も銀玉店へ。
  もともと朝からそのつもりはなかったので気が向かない。それでも 5台ほどは クギを見てから座り、適当に打ってみたら2,000円で大当たり。パカパカと7連荘 して、ちょっと落ち着いたところで

くっだらねーと即去り

を決め込んだ。プラス7,000円。滞在時間は50分ほどだった。こういう勝ち方は少 しも面白くない。それはそれとして、小さい投資で小さく勝っておくのも大切だ 。


  夕飯は久しぶりのおでん。
  今シーズン最初ということで試作段階。具はシンプルに大根と牛スジとイワシ ツミレ。大根以外は市販品。大根は面取りして、皮は梅干しと和えて食べる。食 材は使い切るのが大事なことである。

  昼間のうちに仕込み(下煮)。
  さらに味付けしてからサッと煮ておいた。

冷める時間に味がしみこむのは煮物の鉄則

なので、銀玉店に行って時間を稼いだわけ。やや塩が多すぎたようで、お客様に 出すレベルまではいかない。「おでんの素」のような調味料は使わない。良い塩 梅を自分で探すから料理はおもしろい。

  他には、カブの甘酢漬けとか昨日の残り物とか冷奴とか。
  ひややっこは基本的に夏向けの料理ではあるけれど、暖房を入れるのが日常に なったこの時期からは敢えて食卓に加えたい一品だ。きちんと薬味を用意して( 今日の僕は白ネギとショウガおろし)しょう油を少なめにかけて食べるとおいし い。

  もちろんヌル燗も。
  ヒマなだけに、小さいことをキッチリやって人生を楽しんでいる。まだまだ休 暇の日々は続く。
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