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踊るんだよ。 11月30日
  お金持ちの家には、エアコンがない。
  貧しき家には別の意味でエアコンがないけれど、それは別の話。なんでエアコ ンがないのかと言うと、

全室空調システム

みたいなものがあるからだ。けっ、金持ちなんか糞くらえだ(-_-メ)

  だから、そういう家は、どの部屋にいても暖かい。
  居間だろうがキッチンだろうが書斎だろうが洗面所だろうが、冬でも暖かいの だ(けっ)。「それって冷暖房費が大変なことになるのでは」というのは

貧乏人のヒガミ(けっ)

というやつで、僻むのは貧乏人の得意技である。けっ。


  さて、谷崎潤一郎に『陰影礼賛』(本来は旧字)という随筆があった。
  たしか、

「部屋のあちこちが明るいってのは異常だ。部屋の隅が暗くなっているからこそ 、人はワビサビを感じることができる。暗闇は、イイ。暗がりは、イイ。ちなみ に、わし、脚フェチ」

といったことが書かれていた。と思う。谷崎潤一郎は実は脚フェチってのはけっ こう有名かと思うが、それもここでは関係ない。

  僕のマンションは、もちろん廊下が寒い。
  浴室わきの洗面所なんか、とくに寒い(浴室の窓を開けていることもある)。 そういう寒い洗面所で歯を磨き、リビングに戻ってくると「ホッ」とする。暖か くていいなあと思うわけだ。

暖かいと感じる瞬間が人生の幸せである。

全室空調システムの金持ちに、こういう楽しさや幸せがわかってたまるか、けっ 。今日のネタはここまで。けっ。


  7時過ぎ起床。
  朝から仕事。ワセヨビの体験授業テキスト作り。1本はきのう完成していたの で、もう1度確認と校正をしてからメールで発送。

2年生のMARCH対応講座は予習前提

なので、そのつもりでよろしく頼む。あ、実施は12月13日(日曜)です。お友だ ちもお誘いあわせのうえ、み〜んなで来てね!

  偽善系宣伝ここまで(^^ゞ
  お昼ご飯は初めての寿司屋。古い店で「ヤバいだろうな」と踏んでいて、今日 まで入る勇気がなかった。最近になってランチ800円などという掲示を出していて から、

やっとヤル気を出してきたのか

と試してみた。ヤル気の結果については、忘れるように努めたい。ぜんぜんダメ ね。話題ジャンプ!


  手話教室へ。
  前回に引き続いて、鬼講師T先生がろう者のRさんと同伴で登場。2連続は予 想外でちょっと困惑。いわば手話ネイティブと会話する機会が多いのはいいこと だけど、授業進行が遅くなるし、復習項目も絞りにくいというのがその理由。ほ ら、学校の英語の授業で外国人助手が登場すると、

楽しく(または苦しんで)会話したはいいが何も残らない

ってあるじゃないですか。ま、Rさんの都合もあるだろうし、現にこうしてT先 生が連れてきてくれないと練習する機会もないし。

  今日もまた生徒たちとRさんだけで練習(@_@)
  前半は指文字(ひらがなと1対1対応の手話表現)の読み取りという内容でラ クだった。後半はまたまたフリートークで大変。前回の欠席者もいたので内容が 深化したわけではないけれど、

あっという間に会話から取り残されてしまう

瞬間が多くて疲れた。周りの生徒を見ていると、どうやら僕の欠点は2つらしい 。

:不明単語が出てくるとそれに注意がいって全体の文脈を追えなくなる
:わからないときに表情に「わからない」と出てしまう

  1はまたそのうちに。
  2が困る。会話が一段落すると、Rさんに「あなたわかってないでしょう?」 と手話で詰問(w)される。T先生も参加してきて集中砲火される。いつのまに かこのクラスで

信原くんはいじられキャラ

というのが定着してしまったみたいだ。いちばん年下だし、唯一の男性というこ ともあるんだろうが、何だかなあ。周りの女子(平均年齢53歳くらいか?)は本 当にわかっているのかしら。


  帰宅してヒミツの花園など。
  雨は朝にやんで、回復傾向かと思いきや曇り空が続いた。しかも寒かった。な んとも天気の悪い日が多い晩秋だ。日記の量を減らしたいので、次の話題の読書 へ。


  『冗談の作法』青木雨彦を読了。
  昭和後期のゆるいユーモアエッセイ集。
  そうか、エッセーってこうだったな昔は、という懐かしさを覚えた。

  本書は昭和54年の発売。
  僕にとっての昭和50年代は小学生から中学生、だんだんと読書量を増やした年 代になる。たぶん本書のようなエッセイにも手を伸ばして、

「なんかよくわかんねえなあ、大人ってのはこういうのを面白いと思うんだ」

なんて思っていたはずだ。平成も20年くらい経って、少しはこういう本の面白さ もわかるようになったかも。成長ペースが遅いかも。

  どこかで聞いたような話がたくさん出てくる。
  ここで引用するのは、夏目漱石が東大かどこかで講義をしているときのシーン 。生徒の1人が懐手(ふところで=着物の中に手を入れているさま)で受講して いるので、漱石先生はイライラ(信原注:漱石は癇癪もちとして有名)。たまり かねて生徒を注意する。きみ、きみ、私が講義をしているのに懐手はやめないか 、と。すると生徒は。

>「先生! ぼくは、片腕がないんです。子供のときに怪我をして、左手を折っ てしまったんです。手を出したくても、出しようがない」
  そのとき漱石、しまった――と思ったろう。が、弁慶じゃないけれど、少しも 騒がず、
「きみ、わたしだってない知恵をしぼって講義しているのだよ。きみも、わたし につきあって、ない腕を出したまえ」
  さて、これをユーモアととれるかどうか? この話をユーモアととれるなら、 言うことはない。

  この話はどこで読んだっけなと思いながら僕は読んでいる。
  読んだことがあるのは間違いない。いわゆるデジャブではない。これを読んで 、「漱石っておかしなヤツだな、これはなかなかのユーモアだけど、世間は狭く なるよな」と思った記憶がハッキリとあるからだ。本書を通読していると、この 手の

「知っているような知らないような、でもきっと知っているような」

話が多くて、面白かった。その意味では、小中学生のころの僕には読書の貯金が なかったから、面白く思えないのは当然だったかもしれない。ところで、「弁慶 じゃないけれど」というのは、どういうエピソードだっけ?


  夕飯はチョコマカと。
  昨日のアジ刺は2日目なのでお酢でしめた(昨晩のうちに塩をふっておいた) 。残りは茹でて明日の夕飯用に。一応のメインは簡単なすき焼き。具は牛肉とエ ノキとチンゲンサイと白ネギ。キッチンで作った。

独りすき焼きは盛大にすると飽きる

ので、こうする。しかし、シラタキはともかく豆腐は用意するべきだったな、明 日はそうしよう。

  いやはや、何だか忙しかった。
  再起を誓った翌日なのに、このスタートかよ、と思わなくもない。しかしそれ でも、何かが動き出しているなあとも思う。道理で省略の多い日記になった。足 が止まらなければ、きっとチャンスがあるのだ。
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