予備校講師でわるかったな!





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珍しい記述が多発 2月6日
  8時10分起床で早起き。
  午前中は遊びのスケジュール調整で忙殺された。PCのそばにケータイを置い て、あれやこれやとメールのやり取り。天気はお おむね冬晴れで、

ときどき雲も

出た。北風が強くて寒かった。まさに厳寒期だ。


  午前中にスーパーへ。
  明日の来客に備えて買い物。お客様は4人なので、僕を含めて5人分の食材を 調達しなければいけない。どのくらいの分量を買えば良いのか、よくわからない 。肉や魚は明日の午前中に買うことにして、野菜のたぐいを

両手に持てるほど

買った。持てないほど買ったら運べないから。いや、あれは比喩なのかな。

  帰宅して掃除。
  女子が来るってのは面倒だのう。ある程度は整理整頓された状況にしておかな いとカッコつかないし、それほど広いわけでもないから、細かいものを視線に入 らない場所に移動する。そして拭き掃除。世間を狭くすることを憚らずハッキリ 言うと、

俺に客として呼ばれた奴は感謝しろ

という気分である。もちろん楽しいのは楽しいし、それだけの価値があるから招 くのが客というものだが。


  午後に外出。
  不本意ながら、副業を始めることになった。残念ながら予備校の仕事を見つけ ることが困難な情勢で(ココ関係者爆笑)、こうなった次第。名付けて

「年収補完計画」

である。我々人類が失ってしまった・・・って、そりゃゼーレの「人類補完計画 」だろって、あんたもエヴァヲタね!

  しかし、この命名ではつまらないかな。
  講義日程のページでは、「鰻屋も多角経営」としておいた。この表現を見てピ ンと来た人は将棋ファンだろうか。もちろん、藤井猛九段の名言に由来している 。知らない人が多いと思うので、アバウトに説明しよう。2日続けて将棋ネタと いうのは申し訳ないが。


  藤井九段は『藤井システム』たる新戦法を創出して、竜王になった。
  もともと守備重視であった四間飛車を、強烈な攻撃戦法に昇格させた。それま で、コマのサバキ(=自分のコマを全て使い切って戦うこと)さえできれば勝て るとされた振り飛車の、革命的戦法であった。

  『藤井システム』は大流行した。
  だれもが藤井のマネをして飛車を振るようになった。特に若手はそうだった。 しかし藤井はそれを恐れない。以下、引用は正確ではない。

>最近はファミレスでも鰻を出すようになったけど、そんなのどうってことない 。ウチが出しているのは鰻屋の鰻なんだ。

  ファミレスはシステムを真似する若手のこと。
  もちろん鰻屋は藤井自身のこと。同じ鰻(四間飛車)だって格が違うんだから 、本質的に負けるはずがない、という豪語である。表現が巧みな人とは、比喩が 巧みな人のことである。将棋史上に残る名言と言ってもよい。「まさに絶品チー ズバーガー」


  若手は感動した。
  が、しかし、『藤井システム』を打ち破る作戦の研究が進み、藤井は竜王位を 失うどころか、勝てなくなった。最上位クラスのA級に残るのがやっと、という 有様になった。それでも藤井はシステムにこだわり続けたが、限界を迎え、つい に『藤井システム』どころか振り飛車すら捨てて、正統とされる居飛車を採用す るようになった。

プロになってから振り飛車一本だった

のに、時代を見て変更したのである。若手には失望が広がった。そこで藤井の発 言。

>これからはね、鰻屋も多角経営の時代だから(振り飛車だけってわけにはいか ないなあ)。

  若手は恐れ慄いた(-_-;)
  お前、数年前と言ってることが逆だろと言いたかったが、なにしろ大先輩なの で何も言えなかった(タイトルホルダーは全棋士の3%以下)。そうかぁ、藤井 先生ですら、方針の変更を強いられる時代なのか、と感動した(フリをした)。


  というわけで、僕も多角経営に乗り出すことにした。
  僕の才能では、予備校講師だけで食っていけない時代になってしまったからで ある。こういうのは恥だが、書くことは恥でも何でもない。自分なりに生きる方 法を見つけてあがくのは、

人として必然

であるからだ。つらい生きざまを書くのも、この『よびわる』の大切な特徴だと 考えている。

  ただし、断りを入れておく。
  ここでは、「鰻屋も多角経営」の内容については書かない。サイト名の通り、 本業はあくまで予備校講師だからだ。誰かに窮状を訴えるつもりはないし、本業 を軽んじているのでもないし、同情を買いたいはずもない。同時に、副業を軽視 しているということでもない

サイト名という土俵にふさわしくないコンテンツ

を載せるつもりはない、ということだ。仕事以外の実生活について書くのは、そ れが仕事ではないからである。


  「鰻屋」は夕方に終了。
  はじめての仕事なので非常に気を使ったし、疲れた。なにぶん時間は有り余っ ているから、収入的にはあくまで補完程度にすぎないが、仕事があるのは嬉しい ことである。住宅ローンを終わらせれば、何とか生きていけるし・・・。

  そのまま移動して千葉県某所。
  さぁ、お楽しみの時間だ。人に会ってお酒を飲むという用事である。しかも、

女性とツーショット

である。おお、なんと珍しい記述なのか。母親じゃないっすよ。ちゃんと僕より 年下の女の子ですよ。うら若き女性と二人で飲む。もしかして、これって、

食べちゃっていいってことか?!

「先生、バカすぎます!」

以下、教育上の配慮により削除・・・。


  というのはウソで(^_^;)
  彼女と会うのは10年ぶりだった。5年くらい前まで年賀状の交換をしていた程 度で、実際に会うことはなかった。大学を卒業したあたりまでの消息があった程 度ということだ。思い出深い生徒様の1人だったので、縁が切れたのは残念だっ たかも。

  キッカケは『よびわる』だった。
  何しろ実名経営だから、検索されれば僕の所在は確認できるわけだ。彼女は公 式アドレスにメールを送った。「これが本当に信原先生なのか」と半信半疑であ ったと言っていた。こうして会う前に、厳重な本人確認を取った。


  ふつうのオヤジ系居酒屋『K』で。
  彼女の希望である。あまり食べる人でも飲む人でもないから、僕だけガンガン 呑んで、以下略、はさっき書いたか。10年間の人生の軌跡を聞かせてもらった。 19歳から29歳までの人生は、

10歳年上の僕の人生と同じで、

起伏に富んだものだった。たった3時間ほどの話ではわからないことも多々あっ たにせよ、今日は再会できたことを嬉しく思った。

  これは今までも何度も書いた。
  会うべき人は、どれほど時間距離が離れても、いつかきっと会える。もちろん 『よびわる』のようなネットというシステムの小さな助けはあるだろうけど、

会いたかった人との縁は切れない

ものなのだ。懐かしさというよりも、そうか、またこの子に会えたんだ、会いた いと思ってくれたんだ、という事実に感激した。

  誤解のないように。
  女性であるとか、変わらず可愛かったとか(だったけど、食べちゃいたくなっ たくらいだけど、それじゃあ鬼畜だよw)、そういったことの話をしているので はない。

人の縁(えにし)とはどこまでもつながっていくのだな

と感動したということだ。ま、そんなことが読み取れないお利口は、ここ『よび わる』なんて読んでないだろうから、蛇足かとは思う。蛇足、これこそ珍しい記 述だ。


  午後10時過ぎという、早めの帰宅。
  女の子と飲むというのは、こういうが普通かなあと考えている。10年ぶりだっ たし、時間距離を埋めるために僕も彼女も疲れただろうから。札幌まで飛行機で 行けば1時間ちょっとだけど、

距離という重さが体にのっかってくる

ということに似ている。僕も歳を取ることで、そういう辛さを想像できるように なった。彼女も大人なので、僕も送っていくなどの行為はしない。もしできれば 、

また先生と会えて良かった

と思ってもらえたら、と思うばかりだ。しっとりした気分の夜。うれしかっ た。


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