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物語作り(または妄想癖) 8月31日
  7時50分起床、午前中から午後にかけて授業準備。
 まったくもう、俺はどこまで英語を読めば許されるんだ、なんて思うときも。旧ロシアの拷問に、

・身長の高さになるまで穴を掘れ。掘り終わったら、その穴を埋めろ。次に、同様の穴を掘れ。そして、ふたたびその穴を埋めろ。さすれば、更なる穴を掘り・・・

というのがあったらしい(囚人は発狂して死ぬそうである)。いや、僕がやっている授業準備はそこまでひどくはないかな。ウナギ関係の雑用もあって、サクサクとこなすばかり。市進の準備にも本格的に取りかかったところ。


 お昼前にプールへ。
 水着に着替えてシャワーを浴びたところでアクシデント。ゴーグルが壊れてしまった。ゴムの部分が裂けてしまった。この半年ほど、

裂けた個所をホッチキスの針で補修

してきたけれど、もう限界のようだ。このゴーグルはもう5年以上使っているから、減価償却したと考えたい。しかし、このタイミングで壊れるなんてねえ。

 やむをえずゴーグルなしでプールエリアへ。
 キャップしか被っていないのは落ち着かない。「きんこじ」(だっけ? 頭に巻くワッカみたいなもの。悪さをすると頭を緊縛する)を失った孫悟空みたいな気分だ。これじゃあわからないか。そうね、

・コンビニのバイトに行こうとした女子大生ユカは、あまりの暑さにブラジャーをつけ忘れた。お店のストックルームでそれに気がついたけれど、「ま、いっか。制服着るんだし、別に透けたりしないし」と思った。しかし、実際にレジで袋詰めをしてみると微妙に落ち着かず、「やっぱり、いくら暑くてもブラは忘れちゃだめね」と思いなおすユカ21歳の夏であった。

という感じだろうか。僕にはブラ装着経験がないので想像に過ぎない。が、こんな長いうえにどうでも良い比喩を書いている場合なのだろうか?


 ゴーグルなしで泳ぐのはきつい。
 前に書いたかもしれない。10年前に水泳を再開したとき(小学生のときはスイミングクラブに2年間だけ通っていた)、ゴーグルは持っていなかった。

1日に500メートル泳げるようになったら買おう

と決めて、2カ月後に無事に買った。ゴーグルをつけるとはるかに泳ぎやすくなることを、僕の体は忘れていた。

 別に、目を開けて泳げばいいじゃないかと思うだろう。
 しかし僕は目に水が入るのがたいへん苦手なのだ。なにしろ、目薬がさせない男である。ゴーグルなしで泳ぐのはかなりの極限状況と言える。たとえば、

・十和田湖遊覧船で楽しんでいたら、水中からネッシーが出てきて船は沈没。あわれ湖上に投げ出された僕は、得意の泳ぎで岸辺にたどり着こうと泳ぎを開始する。が、ゴーグルがない。これでは泳げないではないか。ああもうダメだ、僕はどうして旅行にゴーグルを持参しなかったのか、嫁も取れずに十和田湖のモクズと化すのか・・・と死にゆく健志であった。

という感じであろう。なんで十和田湖にネッシーがいるのか知らない。が、こんなに長いうえに(以下同文)。


 仕方がないので首を水中から出したままで泳いだ。
 これキツイよやっぱ。頭を浮かせるぶん足が沈むから、ブレーキがかかって水をかく力が多く必要とされる。こんな条件で10年前の俺は泳いでいたのかと感心したくらい。ここはお約束通り500メートル泳いで終了。体重は63.7Kで順調。

 昼食をすませて帰宅。
 今日もブリブリに暑い。午後2時の寝室は気温32℃・湿度45%。外気温は34℃。生活スペースであるLDKは28℃・35%で快適この上ない。少しくつろごうと読書。


 『わかっちゃいるけど、痩せられない』古川雅一を読了。
 サブタイトルは「メタボの行動経済学」で、メタボと行動経済学を結びつけようとする画期的な内容。
 ハッキリ言って、爆笑トンデモ本。焚書せよ!

 一見して無関係な項目に共通点を見つけ出す、という手法はときにある。
 落語の「三題噺」が典型だ。お客が示した3つの題材(例:お寺・ウニ・黒板消し)からネタを創始するというものだ。ふつうは見つからない偉大な発見があるかもしれず、人の知恵をためす有効な手段かもしれない。

 本書も、そういったものかと思って買った。
 なにしろ、メタボと行動経済学(←と書きつつ何のことか知らないが)だから、奇妙キテレツながらも鮮やかな新説が開陳されているのかと早合点したわけだ。まあ、新古書店の100円本だし、ハズしてもいいかな、と。

 ある意味では、期待に応えてくれた。
 ハズしてもいい、と思っていたからだ。これはすごい。ひどい。

>人間は同じ金額や量でも「増える」と「減る」とでは、受けるインパクトの程度が違う。「得」よりも「損」のほうを大きく感じるのだ。行動経済学では、このような心理を損失回避性という。

ゴシック本文ママ。だから、何?

 誰でもわかる当たり前の現象に名前をつける、という話がエンエンと続く。
 引用するのもバカらしいので要約すると、

・実際の確率に対して個人の予想や思い込みや期待が加重されることを確率加重という

そうである。はあ。すると何ですか、

・大当り確率1/128だから、さすがに200回もまわせば大当りするだろう。そのあとは怒涛の16連荘で1万発は出るだろう。うん、OK。このまま大当りを引くまで金をつぎこもうではないか。私は負けるわけにはいかない。私が死んでも、代わりはいるもの。アスカ、お手本を見せてやるよ!

というのも、確率加重というわけですね。名前つけたからって当たるのかよ、16連荘するのかよ、このバカ学者!

 というカラミは、もちろんメチャクチャである(^_^;)
 メタボにいたるありがちな状況を作り話にして、その状況や現象に名前をつけて、それで説明が終わったことにする。名付けが権威づけか何かだと思っている、

学者センセイの勘違いトンデモ本

である。最後に、アマゾンの書評を読んだら絶賛の嵐でさらに爆笑した。そっか、今の時代、新書はここまでお利口向けにしないとダメなのね、もう。


 遅い午後に出勤。
 ウナギ屋も多角経営。これまた作業的に(じっさいに作業なんだが)チャチャチャっとこなす。暗くなったあたりで退社。千葉県某所に移動して、人に会う。というか呑む。お、珍しい話題になったな。

 お相手は業界関係者で、会うのは2年ぶりくらいだろうか。
 あいだを取り持つ人がいて、ちょっと情報交換をしようじゃないか、という趣旨。もし僕が婚活に目覚めつつある女性であれば、

・またこの人に会えるなんて、2年前の私は考えていなかったわ。まだ結婚なんて考えたこともなかった、25歳のあの頃。あれ、まだ同じ煙草を吸っているのね。話し方も、人差し指で額を掻くしぐさも変わっていない。なんだろう、懐かしい感じがする。あ、そうね、この人は今でもあのときと同じコロンをつけている。同じ香りがする・・・

と思うことであろう。日記の結論としては、

こういう日記を考えて書くのは非常に疲れるし、無意味だ

ということになる(最後のがいちばんデキが悪い)。呑みの詳細はその気になればまた明日。


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