予備校講師でわるかったな!





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無数の語るべき話題 1月5日
  6時前起床、眠い。
 夜の授業の翌日が朝の授業というパターン。僕はたくさん眠らないとダメな人間なので、こ ういったスケジュールを避けるようにしてきた。けれど、この冬は避けられなかった。事情を プチ実情シリーズっぽく。


 掛け持ちのため。
 講習の「伺い」を頂いた時点で、日にちを割りふる。今年度は市進がメインなので、12月28日までは市進のために時間を空けた。去年、ワセヨビでは

1月4〜6日で9時から15時10分で2コマ

だった。ずいぶん時間の幅が広いような気がするけれど、

160分1コマ→2時間休み→90分1コマ

という組み合わせだった。今年も同じだけ入るかどうかは不明だった。

 ワセヨビでの僕の立場は、変わらず弱い(ダメじゃんw)。
 同じように4〜6日だけ空けるとコマが入らないかも。そこで、ワセヨビには

・1月4〜6日で9時から15時10分
・12月29〜31日で9時から11時40分

を空けた。これなら最低でも1コマは入るだろう(実際にそうだった)。


 されど、ここに城南が入りこんできた。
 イキサツはだんだんと明かしていくことになるが、冬から授業を持ってくれとのこと。そう か、まあ新入りだから90分6コマの1講座だろう、と予想した。そこで城南には以下のように スケジュールを空けた。

・1月4〜6日で17時以降
・12月29〜31日で15時以降

 ちなみに、出講可能校舎は横浜・川崎・柏のみ。
 最悪の場合に移動時間が確保できるのがこの3校舎、ということである(本当は他にも理由 がある)。どちらかのタームに授業が入れば良い。運が悪ければ、片方に固まって多忙になるにしても、3日間で済む。

 して結果は。
 城南がなぜか2講座入り、こうなった。

・12月29〜31日で15時30分〜18時50分(城南川崎)
・1月2〜4日で17時20分〜20時40分(城南柏)
・1月4〜6日で9時00分〜11時40分(ワセヨビ西船橋)

ダラダラと勤務が続き、なおかつ今日5日の朝が睡眠不足になるわけだ。業界関係者は「ま、 ありがちだな」と思うだろうし、一般の読者様は「めんどくせぇ職種w」と思うだろう。いや 、ホントにこういうの大変なんですよ。


 いつも通り朝の雑事。
 掃除と朝風呂と洗濯。朝食も予定変更で自宅で食べる。年寄りだし貧乏なので外食はできるだけ避けるようにしている。全身カールヘルム男に化けて出勤。強烈に寒く、よく晴れている。

 ワセヨビ西船橋校。
 順調に授業が進む。少人数すぎて進度が早くなり、テキストが終わってしまった。3日分を 2日で終わらせるって早すぎかなとは思うものの、生徒様のレベルも想定通りで不満はない。

 ところで、なんでこの講座を設定する必要があるんだろう? 
 昨日書いた事情で、どう転んでも赤字になる。

1:3レベルであることを公言するため
2:惨めな講師(僕)に賃金を与えるため
3:とくに考えていない

1と2かな(さすがに3ではないだろう)。ありがとうございます。帰宅途中でスーパーに寄 る。腹減ったな。


 いったん帰宅。
 干しものの様子を見て、ここに書くまでもないような雑用を処理してから昼食を取りに出る 。中華料理店のランチは豚ロースのしょうが焼き。おいしい。満足して帰宅し、ソファに横に なって本を読む。午前中で仕事が終わるのは久しぶり。

 もちろん昼寝。
 1時間半近く。目覚ましをかけない昼寝はたいへんに気持ちいい。何より、とても元気になる。幸せの度合いと同じでどのくらい元気か説明するのは難しいけれど、たとえれば

ヤカンがぶら下げられる程度

というところだろうか。実にどうしようもない比喩で失礼。干しものを取り込み、眠気が取れたところで外出。

 初泳ぎ。
 かといって特別に負荷をかけることはなく、スイミングのみ600メートル。体重は64.25Kで 順調。すこしだけ長く風呂とサウナに入った。帰宅するころには暗くなってきた。授業準備を少しだけ進め、明日の授業の追加プリントを用意し、読書感想文を書いた。いくらでもタスクはある。


 『読書論』小泉信三を読了。
 1950年に出版された古い読書論。 
 ありがちな内容だが、それなりに面白かった。

 これは拾った本だ。
 拾ってまで読むなよと我ながら思うが、良書とどこで出会うかなんてわかったものではない。奥付に1982年とあるものが落ちていて、

普通の古本屋でもこんなボロボロの本ってないよな

と思わされるくらい傷んでいた。逆に言えば、それだけの年月を経て捨てられたのだから、価値あるものかもしれない。

 時代を考えれば、けっこう日本語が新しい。
 以下の引用は「覚る(さとる)」だけルビがあり、いまでは「箇処」ではなく「箇所」と書くだろうな、という程度である。1964年に仮名遣いなどを改めて出版したものらしい。内容は。

>始めて読んだときに全く理解し得なかったことを今度新たに理解すること、かつて漫然読み過ごした箇処に深い重要の意味の潜んでいたのを見出すこと、或いはまた反対に、昔感心して読み、傍線などを引いた章節が空疎な美辞麗句に過ぎなかったのを覚ること、(中略)世の読書人たるものは、いずれもこれについて無数の語るべき話題を持っているであろう。

なるほど。全体的に見ると後半ダレダレの内容なれど、あまりに多く出ている「読書論」のなかでは良い方だと思う。


 7時のニュースを観ながら夕食。
 チャンコ鍋が中心になったのは、魚が入手できなかったから。例年この時期は

魚河岸が本格稼働していない

せいか、こういうツマラナイ夕食になる。納豆だのキムチだの上流社会ハムだの自家製ピクルスだのラッキョウだの自家製ゆで卵の味噌漬けだの。貧しいけれど豊かな食卓。

 日記を書きつつウイスキー。
 リリー・クラウスのモーツァルト(ピアノソナタの11番あたり)を聴きながら、シーバスリーガル12年をロックで。甘いピアノに辛口の酒があう。明日で冬期講習は終わり、忙しい人生にも一段落。
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