予備校講師でわるかったな!





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先生! 6月1日
  僕は自分で自分のことを「つくづく素晴らしい人格だ」「稀に見る善人だ」「ありえないほど格好いい男だ」と思っているけれど、また一方で「ウンザリする性格だ」「逝ってよしなのはオレだ」「先生と呼ばれるなんておかしい」とも思っている。先生と呼ばれること。

  僕はほとんど全ての教師が嫌いだった。学生時代の先生の9割はクズで(逆に言えば1割はいい人がいたけど)、診察してもらった医者も半分がヤブで、クルマの教習所の教官はひとりずつ一服盛ってやろうかと考えたものだ。唯一予備校の講師は3割くらい「この人なら先生と呼びかけたい」と敬意を持つことができた。

  予備校講師は一応「先生」と呼ばれる。具体的にはもちろん生徒様、あるいは予備校の職員の皆様にそう呼ばれるのだ。生徒様がそう呼ぶのはわかる。それは礼儀の範疇だからだ。しかし職員の皆様はあくまで形式上の敬語としてその呼称をお使い遊ばされる(このへんの敬語には自信がない)。予備校の世界では、あくまで講師はかなり下のほうの階級なのだが(だってバイト扱いだもの)、それはそれとして大事な商品の一つでもある。だから「先生」というのはあくまで呼称に過ぎない。
  また一方で、本当に敬意を持って僕らのことを「先生」と呼ぶ人たちもいる。あまりいい言葉ではないが信者の生徒たち、あるいは卒業した生徒たち、あるいはその親たちだ。

  地元で歩いていたら後ろから「センセイ!」と声をかけられることが半年に1回くらいある。僕は予備校の中では先生かもしれないが、校舎を出たらそうではない。ただの私人、ただのハンサムな若者である。先生と呼ばれても、それは僕じゃない。だからスタコラサッサと振り向かずに逃げるだけだ。スーパーで買い物にしたネギを運ぶ姿なんか見られたくないしね(これが本音か・・・)。

  突然話が変わるようだが、そして実際にはそうでもないのだが、僕ももちろんクリーニング屋に行くことがある。僕は原則としてリアルライフネーム(ペンネームの逆ですね)を使うようにしているのだが、その店ではつい油断して本名を使ってしまった。そして「信原」とはよくある名前ではない。

  「市進の信原先生ですよね?」

  付加疑問文(同じ答えを強要する疑問文)でクリーニング屋の店員に質問される。逃げることはできない。このようにハンサムな僕なので、市進のチラシにはたまに僕の写真が掲載されるのだ。あややっややっやや足太くないか??と思いながら肯定の答えをするしかない。僕の大切な洋服たちが人質に取られているからだ。

  「娘がお世話になっていました・・・××です」

  知らんわそんなことは、と北斗の拳のラオウ化したい。しかし誰もが知っているように、僕はウソをつかないのだ。

  先生と呼ばれること。それは予備校の中だけにしてくださいよ、ホントに。
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