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私が泣く前に 6月22日
  私が泣く前に君が泣いてくれたよね・・・
と唄ったのは誰だったか。

  たくさんの女性に捨てられてきた。それと同じか、ちょっと少ないくらいの女性を捨ててきた。たくさんの悔いがある。僕は捨てるときに先に泣いてあげただろうか。
  自信がない。彼女たちがいなくなってから泣いた。それでは意味がちょっと違う。僕が橋を焼き、僕がそれを悔やむ。きっと仕方がなかったんだと。
  捨てられても僕は泣く。何が悪かったんだろう? そんなことを考えても真実には近づけないことを知っている。彼女(たち)は僕を捨てるしかなかったんだって。

  出逢ってしまえば、きっと別れが来る。それは友人でも知人でも連れ合い(=結婚した相手)でも同じことで、それを受け入れるしかない。もしそれが怖くて避けるなら、あるいは避けることができたなら人生はどこにもいかない。あるいは僕もどこにも行けなくなっているのかもしれない。


  誕生日やクリスマスは避けられない・・・
と唄ったのは誰だったろうか。

  誕生日を祝う気持ちは一つだ。この1年ありがとう。この1年一緒に生きてこれたね。また1年を一緒に生きていこうね。永遠の連続の中で区切りをつける場所と時間。それはその一日を共有することがなくてもまったく構わない。独りでもゼンゼン問題ない。誰かがどこかで祝っていてくれさえすれば。それを感じることができれば。
  愛した彼女たちの誕生日をほとんど忘れてしまった。一番近い時期の二人は覚えている。13日と30日。奇妙なことに(そして曖昧な記憶によれば)彼女たちの誕生日には3の数字が必ずついてくる。限りなく最小に近い素数。他の何かで割り切ることはできない。


  残るのは記憶だけだ。それさえもいつかは消えていく・・・
と書いたのは誰だったろうか。

  香りは消え、思い出は消え、手紙の文字は薄れ、プレゼントたちもいつかは朽ちて、記憶だけは残る。しかしそれもはかないもの。いつかそれを忘れてしまうだろう。僕はそれを知っている。忘れたくないことを自分の情熱に誓い、忘れることを理性で思う。
  忘れてしまえる、いつかそれを越える経験を手にするのだと誓いたい。でも誓えない。そこには僕の記憶があるからだ。


  もしも私たちが何もかもをなくして
  ただの心しか持たない痩せた猫になっても・・・

と唄ったのは誰だったろうか。

  記憶は僕を裏切る。心は僕を裏切らない。だから心を大切にしたいと綺麗事を言えればいい。でもそれはできない。僕は心が記憶の一部だと知っているから。

  それでも痩せた猫になりたい。34年も生きてきて、心くらいは残したい。
  心なんて残らないよと誰かが言う。その誰かは僕の中に住んでいる。
  誕生日を迎えて、僕は僕の心に忠誠を誓いたい。僕の心と、もう一つはきっと帰ってくるんだと。それがなければ、あるいはそれを願えないなら、生きている意味なんかないじゃないか。
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