予備校講師でわるかったな!





各ページのご案内はコチラ 

proflile 自己紹介

diary 日記

essay エッセイ

bbs 掲示板
  

Copyright (c) 2004 
takeshi nobuhara All Rights Reserved. 

essay エッセイ
民度の問題 8月15日
  サッカーのアジアカップはなかなかに盛り上がった。ゲームの内容ではないし、もちろん日本が優勝したことでも韓国が負けたことでもナカタが出なかったことでもない。日本チームあるいは日本のサポーターへの中国人のバッシング。もちろん一部(のファナティックな人々)で全部(の中国人)を判断しようとするわけじゃないけど。

  僕自身の個人的な立場と思想を表明すれば、おそらく個人的に一番好きな外国であろう。国に対する関心はあるし、中国ではないけど台湾にも行ったし、中国人の老師に腰を揉んでもらっている。低いレベルで言えば中華料理は好きだし、中国人女性のチャイナドレ、おっと脱線。


  2年前の日韓共同開催における日本人と韓国人のサッカーファンは素晴らしかった。それこそ中東地域などを除けば、民族間の「いさかい」が意識の根底にかなりある国同士だったけれども、確実に距離を縮めることができたと思う。今年になってからの「冬ソナブーム」も、韓国における日本文化流行(これは去年からだったか)は確実に日韓両国が作りあげてきたものだろう。商業的な戦略や北朝鮮の問題などもあっただろうけど、そんなことは抜きにして日本と韓国は歩み寄れた。正直に言って、保守的な僕が韓国のドラマを熱心に見るとは以前は思わなかった。

  アジアカップの予選を見ていて、なんでこんなに日本がアウェイ状態なんだろなと思った。たかが予選でヨルダン(じゃないかもしれない、忘れた)の肩を現地人である中国人が持つ意味がわからなかった。極端なたとえで、そしてこれは問題の一面を無視していることは認めるけど、日本で「パラグアイ対チェコスロバキア」の試合を観ている日本人がチェコにブーイングをしまくるだろうか? するわけないね、そんなの。ノンキにテクニカルに試合を楽しむだけでいいじゃないか。

  日本と中国はやはり色々あって、国交回復が遅れた国同士である。今でも日本と台湾に正式な国交がないのはその名残である。今から30年ほど前に国交が再開した程度である。そのときに文化の橋を渡したのは卓球であったという。卓球は今も昔も中国が圧倒的に強く、ゲーム上で実際の「共通語」として使われるのは中国語であるという。今回のアテネでも期待される福原愛さんも、もちろん中国語を使うそうだ。

  サッカー。もちろん素人であればあるほど自分の国を応援する。僕はルールをちゃんと知っているけど選手のことはほとんど知らないレベルの観戦者だ。あれ、稲本とかナカタとか忙しいのかな?? 小野はオーバーエイジ枠でアテネの準備だよな。高原は病気だ。あ、俊介が出てるじゃないか・・・くらいの常識的な愛国者。たとえ日本でやっていても、そして僕が中国の試合を生で観ても、別にブーイングなんかしない。応援もしないとは思うけど、素直に傍観者でいられる。


  北京オリンピックまで残りは4年。今回のアテネも「お前らに近代五輪が開催できるのか、おいこら」と思わないでもないけど、大きな不安が残る。民度の問題。それは中国人に言わせれば一部の問題かもしれない。しかし世界はそう観ない。ヒットラーを「個人の問題だ」と片付けることができなかったのとは違う意味で、世界は中国を検証する必要がある。

  しかし、と僕は思う。前述した福原愛さんはこの北京で好成績を収める、あるいはうまくいけば金メダルを取るかもしれない。そのとき、中国人が彼女を祝福するだろうか、ブーイングをするだろうか。僕は前者を願い、その実現を予想する。スポーツは文化交流を確実にするものでは決してないが、交流促進をするだけの力を持つからだ。誰が勝っても、そこに感動があるからだ。共感する力を僕たちの手に。中国人の手に。
essay エッセイ  
これまでのエッセイはコチラ