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日本の深夜0時がアテネの午後6時だという。常識的に考えてナマで観戦することはできない。
オリンピックなんていう世界で最も退屈なものの一つを、テレビ越しとはいえ生で初めて観たのは98年の冬季長野五輪である。実に単純にナマで観られる時間であり、ちょうど2月だったので授業もほとんどなかったのだ。
14日の夕方にテレビをつけてみたら、やっと開会式が終わったようで柔道をやっている。野村や谷が2回戦くらいで順当に勝ち進んでいく。おおナマで観れたじゃないかと満足する。しかも柔道は勝負が早いので集中力を持って観ることができる。どうせ日本選手しかしらないから、真剣に観るのはそれだけですむ。
冬季長野五輪は日本人選手がずいぶん活躍したんだと思う。もうほとんど忘れたけど、茶髪の若いジャンプ選手(22歳?)が活躍していた。98年というと、茶髪の流行の超初期である。チャパツのパーが活躍できるのかおい、と世間の人々がみんな思っていた(はずだが、誰も言及しなかった)。
前回のシドニーで「最高で金、最低でも金」と豪語して実際に金を取った柔道のヤワラちゃん。今度のキャッチフレーズもしっかり自分で名づけたようで「田村亮子で金、谷亮子でも金」だそうである。このあたりの臆面のない図々しさも人気の秘密であろう。実際に強いのが明白だから誰も文句をつけない。「図々しいんだこの女。たいがいにしろ」と思っている日本国民も多いはずだが、誰も言及しない。
船木というチャパツの選手はたしか個人でも団体でも金メダルを取った。かすかな記憶によれば、団体の決勝を僕は観ることができなかった。市進で2年生の授業が夕方にあったのだ。準決勝(ってあったかなあ?)あたりまでフォローして、後ろ髪を引かれる想い(ワイセツな比喩である)で校舎に向かった記憶がある。授業で船木の真似をしたような記憶もあるが、まあこれは事実ではあるまい。ないと願いたい。
柔道を3回戦くらいまでフォローして、プロ野球を観る。今さら応援しても仕方がない我が横浜ベイスターズだが、テレビで観れる機会が少ないから当然である。ベイスターズは快勝する。良かった。アテネのことは忘れて、深夜2時に始まる「冬ソナ」のために少し寝ることにする。
長野五輪ジャンプの団体には、原田というベテラン(29歳?)の選手がいた。かなりの実力者らしいが、団体でやっと金メダルを取れたそうだ。インタビューも涙でぐしょぐしょである。「原田の男泣き」としてメディアはそれを歓迎した。もちろん原田は茶髪ではない。一方でチャパツの船木選手は涼しい顔である。勝って当たり前だろゴルァみたいなメディア対応である。
深夜1時に起きる。ネットを観たら「野村3連覇、谷連覇」と速報が出ている。なんてこったぁ、決勝も同じ日にやったのか! 調べてなかったけど、そして知っていても夜中だったら観なかったと思うけど。朝になって新聞を読んだらコメントが出ている。
「田村亮子でも谷亮子でも世界一になれました」
どこまでも図々しいオンナである。参議院議員なんか飛び越えて、そのうち総理大臣にでもなるんじゃないか。もちろん彼女は茶髪である。
お、野球が始まるようだ。少しは格好つけろよな。
ところで、谷と船木と原田で一番カッコイイのは誰か?
そりゃ、僕としては谷です。好きだから悪口を言える。
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