予備校講師でわるかったな!





各ページのご案内はコチラ 

proflile 自己紹介

diary 日記

essay エッセイ

bbs 掲示板
  

Copyright (c) 2004 
takeshi nobuhara All Rights Reserved. 

essay エッセイ
Nobody knows 8月26日
  養育の放棄。父親が異なる子どもばかりの母子家庭。子どもは長男12歳、長女10歳、次男7歳、次女5歳くらい。どのような事情なのか、アパートの大家には母親と長男の2人暮らしだとデパートに勤める母は告げる。3人の子どもたちはベランダに出ることすら許されない。
  16年前にあった「西巣鴨4人子ども置き去り事件」がモチーフらしい。僕はこのニュースを覚えていない。まだ18歳だった。養育してもらえないということ。教育が受けられないということ。そのニュースを聞いていたとしても、僕はその意味を理解できなかったのかもしれない。自分には自分の問題があるから、他人の問題にまで心を広げて考える余裕がなかったんだろう。

  母親は「恋多き」女性で、新しい恋人がいることを12歳の長男に告げる。「またはじまったのか」と長男は思い、それを実際に口にする。11月末のある日、母親は20万ほどの金を残して失踪する。長男は弟と妹2人に母親は仕事で長く家を空けるんだと説明する。次男と次女はそれで納得する。長女はなんとなく事実を知っている。しかし事実上の「父」の立場を占める兄に向かってそれを指摘できない。
  12歳。僕はそのとき、生活にいくらくらいの金がかかるか把握できただろうか。家賃、公共料金(3種類ある、高校生の君はわかりますか?)、電話代、食費。僕はたしか毎月1000円くらいの小遣いでやりくりしていたと思う。本当に必要なものは親が買ってくれる。

  1ヶ月しても母親は戻らない。生活費のために、兄弟たちの「父親」たちを訪問して金を作る。たった5000円だけ。それでも家計の足しにはなる。年が明けて、母親は帰宅する。しかしその直後にまた失踪する。今度は数日後に現金書留が送られてくる。長男は彼女が2度と戻らないことを知る。
  僕は「学校に行きたくない」と思ったことはない。楽しくはなかったが、不快でもなかった。教育はそこにあるものであり、渇望するものでも拒否するものでもない。よく「日本人にとって水と安全はタダだった」というけれど、12歳の僕にとっては教育もタダだった。養育してもらうという意識なんてもちろんなかった。

  時は前後する。長女と母親のやりとり。
「あたし、学校に行きたい」
「あなたにはお父さんがいないでしょう。行ってもいじめられるだけなのよ」
  長男は言う。
「学校に行きたいんだけど(彼は12歳だが掛け算ができない)」
母親は抗弁する。もちろん長男も詰め寄る。しかし母親は痛恨の一撃となる言葉を発する。
「わたしだって幸せになりたいのよ。だいたい、あなたのお父さんがあなたを捨てたのよ

  僕は10代前半に、自分が言いたいことをきちんと説明することができなくていらだっていた。10代後半の日々は他人に説明することを放棄した。
  この映画の長男も、僕と同じように(あるいは世間全ての12歳と同じように)母親にその不当な行動を指摘する説明力を持たない。それは当然のことだ。そして問題は実はそこにはない。「誰も知らない」のは4人の子どもの暮らしぶりだった。しかし、世界を構築できていない子どもは養育されなければならないことを、誰も知ろうとしなかったのではないだろうか。これは一つの解釈にすぎないけれど。
essay エッセイ  
これまでのエッセイはコチラ