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3つのメダルの争奪戦。必ず勝者と敗者が生まれる。
柔道の井上選手。五輪も世界選手権も不敗だったが、ボコボコに負ける。ケガの後遺症があったとか何とか、そういう噂がたくさんある。
「自分には力がなかった。今回の五輪を今後の人生の糧にしていきたい」というような直後の敗戦の弁だった。いかにも日本人好みのセリフで、空気読めてるなあという印象。個人的に一番期待してたんだけど、勝負は非情だ。
ハンマー投げの室伏選手。今期(と言ってもいつからいつまでか知らないけど)は不敗で来ていたが、6投目で大きな投てき(=投げること)を見せながら28センチ足りずに銀メダル。申し訳ないが僕の予想が当たってしまった。
「自分としてはいい試合ができて満足している」というようなコメント。僕は早起きしてたまたまナマで観ていたのだが、確かに各選手が6回ずつ投げるという(その中の最長距離が自分の結果になるシステム)戦いの中で、先行されながらも最後で逆転が望めそうな好勝負だった。じっさい、最後の大投てきの瞬間は「行った! 行け!」と僕も叫んだ。しかし28センチでも負けは負け。勝負強くなる運をどこかから調達してこなければならないし、もちろん室伏本人も自覚したんだろう。
野球。初めてプロばかりそろえて準決勝で負けて、何とか銅メダル。金でなければ・・・という世論を裏切ってしまった。
これは誰のセリフか覚えていないのだが、「長嶋監督に申し訳ない」というのがあった。ハッキリ言うが、全く意味のない言葉だと思う。人の魂が飛んでいってそこで監督を勤めるわけじゃあるまい(商業五輪は古典世界とは関係ないはずだ)。予選リーグで唯一負けたオーストラリアが相手であり、たとえ1回負けたらおしまいの決勝トーナメントであったとしても、何かテクニカルな部分に問題があったことを考えなかったのだろうか。いや、考えたけれど、それをメディアの前で発言するほど気持ちの整理が持てなかったのかもしれない。でも、もしイチローが出ていて同じ立場にあったなら、もう少し「うん、そうだそうだ」と世間を納得させる言葉を言ってくれたんじゃないかなと思う。
女子レスリングの姉妹選手のお姉さん。妹は金、自分は銀。同じ大学の仲間も金、浜口は銅。
「金じゃなければ意味はないです」ということを何回も繰り返していた。それだけ期待されていたし、自分に自信があったのだろう。悔やむところも多いのだろう。しかし少しくらいは「次につなげたい」とか「もう1度北京で挑戦する」とか言ってくれても良かった気がする。せめて喜ぶフリをするくらいはあってもいいんじゃないか(心の中で泣くのは当然の権利だ)。同じ大学の3人が揃って「みなさんおめでとう! 良かったですね」という報道の中で、まあそれがムカついていたのかもしれないけど、ずっと仏頂面していることもないような気がする。
レベルはかなり違うけど、僕のような予備校講師の場合も生徒の合否報告を頂き、感想をインタビュー(というほどでもないか)する。もちろん第1志望に受かるということはほとんどないので、銀メダルや6位入賞やひょっとして「予選敗退」の報告をもらうわけだ。「やっぱり第1志望が良かったです」なんてもちろん誰も言わない。そんなこと自分(生徒)だって結果を待つだけの国民(講師)だってわかっているのだ。大切なのは負けた後じゃないか。
シドニーの女子水泳で銀メダルを獲得したある選手の敗戦の弁。
「ちょーうれしい! でも金が良かったです〜」
爽やかな敗戦の言葉をまた誰かに聞かしてもらいたい。参加することに意義があるとまでは思わないが、我々一般国民は勝つことだけを期待しているんじゃない。自分の姿を、選手に仮託すること。アテネも終盤だ。
後日追記:室伏選手は金メダル選手のドーピング疑惑の結果、金メダルに繰り上げになりました。勝負強くなったのか・・・。
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