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学生時代に同じ塾で働いていた友人の死去のニュースをもらったのが逝去の1ヵ月後、
さらに2ヵ月半経ってやっと仏前参りに行くことができた。
彼と極めて親しかったわけではない。特別な感情や時代を共有したわけじゃないし、腹を割って話したことがあるわけじゃない。親友とはとても言えない。だからと言
って知人という感じでもない。
僕がその塾で講師を初めて1年後に、僕より一つ年上の彼は講師になった。つまり僕の
「後輩」である。しかしだからと言って先輩後輩は関係ない、というのがこの塾・予備校
業界だ。彼は理系科目の担当で、国語と英語をやっていた僕とは直接の関係がない。でも
まあ小さな塾だから実に同僚だ。寡黙(かもく=あまり話さない)な人だった。
彼との付き合いはむしろ僕がその塾をやめたあとのほうが濃かった(多かったのではな
い)かもしれない。一緒に仏前参りをした友人たちと数人でよく遊んだ。4人でやるゲー
ムを1年に1回欠かさずやっていたと思う。
彼にとってどうだったかはもうわからないが、僕にとっては「会うことの少ない付き合
い」の友人は大切だ。ふだん連絡を取り合うことすらほとんどない。それでも連絡がつい
て、そしてたまたま偶然に予定があって(あわせて)遊ぶ。僕は友人を多く持たない主義
だが、薄い付き合いの中に濃い関係が宿るとも思っている。
「小学校に入ったら、ともだち100人できるかな」という歌(あれって童謡なのかな
?)があるけれど、僕は小さいときに、つまりそれを聞かされる年齢くらいのときに同じ
ように考えた。100人でも何でもいいけど、数字に意味があるのだろうかと。彼はど
う思っていたのだろう。
ご両親に話を伺うと、彼も晩年にホームページをやっていて、その闘病記を書いていた
らしい。治療は順調に進み、本人も家族も納得できる経過をたどっていたが、容態は急変
して死んでしまった。あまりにも急なことで、我々(つまり昔の同僚)に連絡がつけられ
なかったということ。そして仏前参りをしてきたわけだ。
僕は彼と最後にいつ会ったのか正確に思い出せない。そんなこと、一つ一つ覚えて生きている
わけじゃないから。4人でやるゲームの後で、「じゃ、また。お疲れ〜」と言って手を振
る瞬間が最後になると誰が思うだろう? 僕たちは、また再び会うためにその日は別れる
のだ。
もちろん僕もいつかは死ぬ。誰もが同じだ。それだけは平等だ。あるいはこのホームペ
ージに「最後の」日記やエッセイを書くことになるかもしれない。願いが2つある。それ
は両方とも僕が自分で成し遂げなければいけないことだ。1つはここに書かない。
Iさん、麻雀で何回もカモにしちゃってごめんね。 いつまでもとは誓わないし誓えない
。 でも、できる限り、君のことを覚えておく。 またいつか、きっとどこかで。
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