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essay エッセイ
disappearance 12月25日
  いつかは何もかもが消えてしまう。そこには砂漠しか残らない。そんなことは知っている。

  何人かの彼女をなくした。死んだわけじゃなくて、僕の世界から彼女たちは旅立ったのだ。
  何人かの友達をなくした。僕が捨てたのか、彼ら・彼女らが捨てたのかわからない。

  いつかは僕も消える。物理的にも精神的にも。心がどこかに残ればいいと願う。でも世界というのは抽象から成り立つわけではない。あらゆる具体から成り立っている。
  僕にそれを痛感させるのは死だ。もちろん自分の死ではなく、自分が愛した者たちの死


  友人からもらったメールを紹介する。覚めた目で見れば自分に酔っている文章かもしれない。どこかから借りてきた文章かもしれない。でも僕には少なくとも小さな真実のかけらが見える。そこには書きたくて書けなかった想いがあり、書くことで想いを昇華させようとしている苦しみがある。それは僕がこうして無意味にしか思われないエッセイを書く理由に似ている。


>年を取るにつれ人にはこだわりや譲れない線というものが増えるのだろうか、そ れとも減るのだろうか。また、日々流されているだけだと何も感じなくなってしまうのだろうか。
私のこの1年は基本的には大きな悲しみが支配していた。けれども1年がすぎ、 あのときの記憶が新しい記憶のためにどんどん遠くなっていく。悲しみが突然に ふっと襲ってくるということも少なくなってきている。
大切な記憶が新しい記憶 のために遠くなってしまうと言うこと自体は切なく感じるが、最近になって生き ていくって言う事はそういうことなんだと思うようになった。生きていく限り、 物事は進む、そして進めなければならないんだ。それは決して別れを乗り越えて 強くなったと言うのとは違うんだけど。

君はこだわりをいくつか持っているよね。それを会うたびに認識して、すなおに 「いいなあ」「がんばっているなあ」と思う。俺は仕事や生活の何にこだわって 生きているのか、最近はそんなことを考えている。
たぶん今度また会ったときはまた馬鹿話に終始するだろう。
でも会いたい友との語らいは飲み会だけにとどまらず、余韻を残し、生活に 「活」を入れる。
また会おう。


  この文章を書いた彼は大事な人を亡くしてしまった。もちろん僕にはその想いを共有する権利はない。
  もう少し正確に言えば、共有することができない。


  僕と彼が大学時代に研究の真似事をした作家はD.H.ロレンスという(同じゼミだったのだ)。正確な記憶ではないが、彼の小説の言葉を引用する。どこかに、誰もが求める想いを見ることは不可能なんだろうか?

「生きるってことは進んでいくことさ。前へ前へと進んでいく」
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