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決戦はゴキゲン中飛車!3 1月27日
  対局は進む。(以下、3つの段落は将棋を知らない人はパスしてください)


  後手ベッカムのゴキゲン中飛車に対し、先手H先生は3間飛車を採用。いわゆる相振り飛車、プロの間でも定石が確立していない難しい戦型である。まるで藤井VS久保(どちらも振り飛車専門)両A級8段(羽生もいる棋士のトップ10のランク)の将棋である。
  どちらも自分を少しでも有利にする方法を探るが、そうはいかない体勢。僕は金無双、H先生は高美濃。後手の僕から仕掛けた。一瞬のチャンスを見つけて自ら角と金の交換。コマ損は覚悟だ。少し押されている感触があったので、いつまでも我慢している必要はない。僕が年下だし、いつまでも「ねじり合い」をしている場合じゃない。
  僕が常に王手飛車(両方にコマ取りがかかる)を含みにしながら局面は切迫する。真剣そのものだ。コマ損ながらも多少は僕が優勢な局面になる。しかし無理をしたことがたたって詰めろ(放置すれば負けの状態)をかけられる。言い換えれば、僕にも最後のチャンスが来た。詰むや詰まざるや?!


  決着。
  「負けました」

  詰み(王様が逃げられない状態=ゲームの終了)が来る直前にどちらかが「自分が負けた」と宣言して対局が終わるのが将棋の世界の例である。

  将棋はプライドのために闘うゲームだ。「真剣師」と呼ばれる賭け将棋を専門にする人もいるが、賭けなくても成立するゲームなのだ。
  僕は小さな賭け事が大好きだ。小学生のころから学校で賭けトランプをして、中学ではプロ野球の勝敗でかけて、高校では賭け紙マージャンを休み時間にやった。でも、将棋だけは賭けたことがない。プライドという、金よりもはるかに貴重なものを賭けるからだ。


  最後の局面、僕がH先生に勝つチャンスがあった。指しているときも「これは勝っているはずだ」という瞬間があった。しかし僕はその手段を見つけられなかった。
  対局時間は1時間20分だったか。その後で感想戦を30分弱。感想を言い合うのではなく、実戦譜とは異なる手を検討してお互いの棋力アップを計るのだ。そしてそこで僕が勝つ手段を発見する。いわゆる「勝てる将棋を逃してしまった」という結果である。

  ネットカフェを出る。真剣に悔しい。詰みを見逃した後悔が僕を襲う。

べ「悔しいです。勝ちたかったです」
H「内容は負けてました」
べ「それでも勝つと負けるは大きな違いです」
H「・・・」
べ「プロの気持ちが少しわかりますよ。真剣に勝ちたいのに、それでいて勝てる将棋で負けてしまうんです」
H「勝ちスジが(感想戦で)見つかったからかえってキツイんでしょうね」
べ「ですね、たぶん。そしてそれでも負けは負けなんです」


  僕の終電まで1時間。食事でもしようかと誘ってもらったが断る。時間を気にする食事はつまらないし、それは相手にも失礼だ。
  横須賀線に乗る。読書をしながら対局を振り返る。負けたんだな。あの局面でなんで詰みを見つけられなかったんだろう?

  どうしても勝ちたかったのに、勝てるチャンスは確かにあったのに、果たせない夢がある。命も金も取られなかった。でも僕はプライドを失ったのだ。「負けました」と礼をした瞬間に。
  真剣にやるから、楽しいんだ。


追記:H先生に特別な感謝です。一部脚色があるので、城南関係者の皆様は「あの人って(やっぱり)ムッツリ・・・だったのね」とか陰で笑ったりしないようにしてください。と陰で爆笑する私である。
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