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『トニー滝谷』 2月4日
  小説を映画化すると、まあたいていは映画が酷評される。小説読みという人種はその作 品の世界を自分なりに構築するものだから、自分のイメージと違った画像や演出にイラつ きを覚えるのが普通である。したがって映画はダメで小説は良かった・・・とされるのが 世間の相場だ。


  有名な例は「風とともに去りぬ」である。幸か不幸か、僕は映画を先に観てから小説を 読んだので「映画のほうがいいような?」と思ったけど、小説を先に読んだ人からすると 「あの映画はなあ・・・」というのが一般的な評価のようだ(注:映画としての絶対評価 は高かったはず)。

  逆の例は、昨年の「世界の中心で、愛を叫ぶ」であろう。小説もブレイク、映画もブレ イクというのは珍しいだろう。僕は「世界」を小説で読んで面白かったと思ったので映画 はパスした。しかし世間は映画もいい小説も泣ける、ときたわけだ。
「それはストーリーが良かったんであって、小説や映画が良かったということじゃないよ ね?」
なんていう反論を書くとヒンシュクを買うんだろうなあ。

  ただ、この2作を横に並べて論じるのには無理な点が1つある。それは時代の違いだ。 調べたわけではないが、小説の「風」は戦前の成立であり、映画も戦前だ(1940年だ ったかな)。一方「セカチュー」は小説が2001年、映 画が2003年だ。
  つまり時代が違うことで文芸に対する考え方、いや捕らえ方のシステムそのものが変わ っているので、比べることに意味があるかどうかがわからない、というのが正確なところ だろう。だから
「セカチューは映画も良かったんだぁぁ」
なんていう怒りのメールとか送 ってこないでね。


  さてやっと本題の「トニー滝谷」だ。
  村上春樹が小説(リンク注:レキシントンの幽霊 の中に「滝谷」が入っています)にしたのは1991年。市川準監督が映画にしたのは2 004年。
  僕は96年にこの小説を読んで「まあまあだな」と思った。主人公の「孤独さ」の描き 方が印象的だった。しかし感動したほどではなく、実際に読み返したのは2回程度だと思 う。2005年2月現在、ストーリーは覚えていない。


  今はまさに映画を観た数時間後である。映画のストーリーを要約する。

主人公トニーは孤独な中年だ。母は早くに他界、父ともほとんど音信がない。イラスト レーターとして成功した彼は、15歳年下の女性と初めて恋に落ち結婚する。しかしその 妻はすぐに他界する。再び孤独になった彼は、ある女性と知り合う。

  これが僕の「ネタバレ禁止」的に書いたもの。次にヤフーの映画のストーリー紹介文を 引用する。

>美大で芸術を学んだトニー(イッセー尾形)は、デザイン会社へ就職、その後独立して イラストレーターになり、自宅のアトリエで仕事をこなすようになる。そんなトニーが一 人の女性、出版社編集部員・小沼英子(宮沢りえ)に恋をする。


  同じ話に見えますか? だいぶ違うような気がする。そして今(上を書いた直後)、小 説を再読する。では小説のストーリー要約信原版。

主人公トニーは常に孤独だった。イラストレーターとして成功した彼は、15歳年下の 女性と初めて恋に落ち結婚する。しかしその妻は洋服を買うことに病的なまでの執着心を 持っている。妻は事故で他界し、彼は再び孤独になった。


  そうです、映画には後半部分が付け足されています。さて、これをどう解釈するかは皆 さん次第です。映画が先、それとも小説? 僕はどっちでもOKだと思います。

  その他感想5点。
1、坂本龍一の音楽は非常にマッチしていた。
2、後半のストーリーはともかく、基本的に小説を忠実に再現している。
3、テンポがのろい。
4、宮沢りえは脇役にすぎないと思うが・・・。
5、映画が先だと難解に感じるはず。
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