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2005年2月12日、以前の同僚の訃報を受け取った。
故人とは個人的な付き合いはもちろん、話したことも数回程度しかなかった。ある校舎で煙草を吸いながら、「はじめまして」の挨拶をしたことだけはキッチリ覚えている。故人は僕を固体認識していたと思うし、僕も彼に対して同じだ。仲が良いとはとてもいえない程度の元同僚ということになる。
正直に書けば、僕は彼のことが好きではなかった。たとえ故人になってしまったとして
も、それは否定しない。いわゆる古き良き時代の予備校講師で、それは僕が目指すタイプ
のそれではないどころか、その対極にあった。僕が最も憎み、嫌い、自分がそうなること
を望まない予備校講師の姿をしていた。
こんなことを書けば、「死者にムチを打つのか」という反論があると思う。そう受け取
ってもらってかまわない。心外ですらない。彼が亡くなったことと、彼が実践していた予
備校講師像は僕の望むそれとは違ったことは、別の問題だ。故人をなんでもかんでも「い
い人だった」とする風潮には断固として反対する。死んでから「いい人だった」なんて誰
にでも言えることだ。死んでから「悪いことをしてしまった」なんて誰にでも言える。だ
ったら、なんで彼の生前にそれを改めなかったのだ? 生と死が対極だとでも思っている
のか?
それはそれとして、通夜に出席した。伝聞したところでは、故人は僕より10歳ほど年
上だ。1線級で活躍とはいえなくても、まだまだ講師としての人生も長かっただろう。彼
の職歴は知らないが、たぶん20年くらいは予備校講師をやってきた、つまりそれなりに
成功を収めてきた人なんだと思う。その歳で世界から去っていくことにどういう感慨を持
ったのだろう? もちろん故人は答えてくれるはずがない。
ただ一つ、僕は彼の冥福を祈るだけだ。僕の職業的・人生的信条とは対極にある人であ
ったとしても、彼の早すぎる死は悼むべきものだ。べき、じゃなくてそうありたいと思う
し、そうある。
僕にも当然訪れる死がある。そのときに、世間的な同情やポーズではなく、泣いてくれ
る知人や友人を作りたいと思う。たとえ「あいつは立派なやつだったけど、同時にワルだ
ったよなあ」と思われたとしても。そのために僕は払うべき代価を払うし、するべき努力
をしたいと思う。死ぬ前に花実を咲かせ、死んでからも花実を咲かせ続けたいからだ。
予備校講師の魂よ、安らかに眠れ。
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