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常識的に考えて一目ぼれは存在しない。外見は不幸なことに何も語らないことが多いからだ。 「あばたもエクボ(欠点でも愛すれば好きになれるという意味)」という言い回しがあるように、外見というは大切な要素ではない。もちろん一部にはなるけれど、まあとにかく。
世間の基準からすれば、「可愛いなあ」「綺麗だなあ」といわれるような人を好きになったのは1回しかない。どちらかと言えば「ああ、悪くないよね」と世間が思うくらいの女の子を好きになる傾向があるみたいだ。
しかもタチが悪いことに、性格に多少の問題がある人を好きになることが多いみたいだ。社交性がないとか、嫌いな人に冷たいとか、生い立ちがロクでもないとか、そういう人が多い。もっとも、全ての人が好感を抱くような人は基本的に存在しないので、これは僕が常識的で平均的な人間であるという証左かもしれない。
「話すことがなくなって困るんだよね、デートってさ」と僕が言う。
「話すことがないときは話さないのも一つなのよ」 と彼女が言う。
いくら何でも会っているあいだずっと話すわけにはいかない。もちろんアツアツの恋人になって2ヶ月でぇす、という場合ならそういうこともあるだろう。でも普通は、つまり人生の多くの場合はそうじゃない。それは僕と彼女の関係も同じだった。
綺麗な人だった。大学時代にはロクに話すことすらなかったけれど、大学を出てからデートをするようになった。曖昧な関係だったけど、恋人同士にはなれなかった。話題というより世界観がすごく似ていて話していて楽しかったのだ。それは間違いなく彼女も同じだったと思う。新米の社会人同士とはいえ、予定をあわせるのは簡単じゃない。でも僕たちは何とか時間を合わせて淡いデートをした。
勇気をどこで出すか。人生に大切なことの一つにタイミングがある。自信はなかった、タイミングにも、自分にも。僕は曖昧な言葉で自分の気持ちを伝えた。結果はNOだった。
「もう少し待ちましょう」
嬉しい答えだった。それがすでに終わりの始まりになっているとは思わなかった。話すことがあって、話さないのも一つだったのだ。
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