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浪人が決まって1ヶ月だけ小銭のためにバイトをする。それからは全てのバイトから
離れる。そして大学に受かり、またまた小銭のために仕事を求める。時代はバブル経済
で、バイトも無駄使いが多かったのだ。それは1990年。
人材派遣会社。それはつまり使い捨ての仕事。ありとあらゆる雑用。
・三井住友VISAカード主催のゴルフのダイレクトメール作成(ではなく折り込み作業
)。
・武道館で大江千里のコンサート警備。
・国技館で着物展(内容はなぞ)の警備。
・東京ベイエリアのどこかのエアロビ大会の警備。
・東京卸売りセンターでエレベータボーイ。
・東京ドームで警備員とゴミ拾い。
・厚生年金会館でオペラの警備。
東京ドームは規則がうるさかった。バイト警備員であることを示すためにジャンパー
を着せられるのはいいとして、その下はネクタイでなければならない(警備系のバイト
はスラックスとネクタイが基本となってはいたけど)。そして足元。
白 の 運 動 靴 でなければいけない。
そんなん持ってない。知らないふりでバイト集積所(←ゴミみたいだけど、まあそう
いう扱いなんだ、バイトなんて)に行ってみたら詰問される。おい、靴は白だって言わ
れただろうが、お前?
しかし靴を貸してもらって勤務する。やっぱり野球場だから人をさばくのは大変。
「通路に立ち止まるな」なんていうバイト君に従うお客さんはいない。
試合が終わって観客席のゴミ集めを命じられる。ゴミ?
ビールの空きコップ。弁当の残り物。5万人入るだけあって、ものすごいゴミの量だ
。集めても集めても終わらない。野球の観客席だから、かがんで拾い集めるしかない。
腰が痛くなり、ゴミ袋は常に交換するしかなく、球場は広い。どこまでやっても終わる
気配がない。キリがないので使い捨てバイトである僕たちは11時過ぎに解散させても
らえる。あとは本職の仕事なのだ。
借りていた運動靴を返す。時給ではなく日給の仕事だったから収入は変わらない。か
すかな記憶では4時からの勤務で4500円だったか。9時にあがれば時給900円だ
が・・・。
痛む腰に手をあてて水道橋の駅に向かう。あの大きな陸橋を超える。4月の半ばで空
気は生ぬるい。明日は朝から語学の授業だ。僕は決心する。もうこういうバイトはやめ
よう。これを続けても経験は手に入らない。金だけのために働くんじゃ虚しい。
僕は人材派遣会社の誘いを無視することにして、新しいバイトを探した。バイト求人
誌を読む。僕はやりたい仕事を選びたいんだ。そう、それは教えること。経験を共有し
導くこと。
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