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好きな作家を語るのは難しい。それは自分の恋や見た夢を語ることに似ている。そこにある自分の思いをどうしても伝えることができない。語ろうとすれば「違うんだ、僕が感じたことはこうじゃない」という想いに必ずいきあたる。それでも、何とかして言葉をつむぐ。それが虚しい努力であるとわかっていたとしても。
上の段落は初期の村上春樹のトーンを拝借した。
僕がはじめて彼の小説を読んだのは高校入試の勉強をしているときだ。『風の歌を聴け』という小説の一部が入試問題になっていたのだ。記憶を頼りに引用してみる。
>文明とは伝達である、とその医者は言った。
少年時代にコミュニケーション障害を持った主人公の「僕」が心理カウンセリングを受ける場面だ。
ちゃんと小説として彼の小説を読んだのは高校2年生のころだったと思う。通読したのは『1973年のピンボール』だった。僕はそれが『風』の続きに位置することを知らずに読む。そして、その文庫本の奥付を見たときに彼が『風』の著者であることを知る。
と、ここまで書いて書棚にある本を取り出して見たら違っていた。僕は『風』を先に読んでいたらしい。古本ではなかったのでこれは間違いないと思う。そう、残酷なことに記憶は風化していく。
僕は中学生のときにいわゆる日本文学をたくさん読んだ。初心者向けの武者小路実篤に始まって、漱石の『こころ』だって読んだ。でも17歳になった僕は新しい小説を希求していた。現代に生きる小説はないのかと。
あくまで今になって思えばということだけど、春樹の小説に「読んですぐに傾倒した」ということはないと思う。フラグメント(断片)をつなぎあわせた『風』『ピンボール』にびっくりしたものの、強い感動を覚えたわけではないと思う。そこに僕を呼ぶ風があったことはわかったにしても、僕は自分の世界をどこに作るか考えることに忙しかったのだ。
18歳の秋、大学受験を間近に控えて、僕は予備校帰りに立ち寄る本屋で『ダンス・ダンス・ダンス』に出会う。『ノルウェイの森』の出版から1年ちょっと、春樹の新刊だ。僕自身はこのときまでに最初の大作『羊をめぐる冒険』を読み終えていたはずだ。
僕は高校生で金がなかった。単行本は高すぎる。大ベストセラーである『ノルウェイ』の存在を知りながらそれを無視していたのだ(まだハルキストではなかったし)。
ちょっと見てみようと最初のページをめくる。
>よくいるかホテルの夢を見る。
いわば、この瞬間にこそ僕は春樹を知った。そのあと17年にわたって春樹を読み続けている。
追記:このシリーズでは春樹氏本人がエッセイやHPなどで書いていたことを何度も引用しますが、必ずしも正確な引用ではありませんのでご了承ください。ただし、(たぶん)本人の意図する「論旨のベクトル」に間違いはないように書きますし、小説中の引用はその限りではありません。研究文献ではないのでそこまで追跡できないというのが本音ですが。
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