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川上弘美『センセイの鞄』。
とくに偏見を持っているわけではないが女流作家が苦手である。
川上さんという作家の名前は知っていたけれど、「女流かあ・・・」という感じで(結局は偏見じゃないか)手に取ることはなかった。でも、この作品には手がスッと伸びた。最初の2行を読んで、すぐに買うことに決めた。
>正式には松本春綱先生ではあるが、センセイ、とわたしは呼ぶ。「先生」でもなく、「せんせい」でもなく、カタカナで「センセイ」だ。
本好きな人間なら、あるいはそうでなくても思い起こす作品は1つしかないだろう。「私はその人を常に先生と呼んでいた」ではじまる夏目漱石の『こころ』である。
真偽を確かめる手段も必要もないけれど、勝手に解釈させていただく。作者は意図的に語順と時制を変え、あえて固有名詞を出している。ハッキリ言って確信犯、よく言えば漱石の名作への挑戦、ひねくれた見方をすればパロディーである。
裏表紙の要約文を読むと「センセイと私の、ゆったりとした日々」とある。どういう小説なのか(ミステリーやオカルトではないだろう)サッパリわからない。でも、書き出しに「ひっかかる」ところがあれば――あくまで僕としては――いい小説が多いはずだ。
センセイの本名は、この冒頭と小説の末尾にしか出てこない。「鞄」がなぜタイトルに入るのか最後まで読まなければわからない。ネタバレしない程度に紹介すれば、書き出しの一文にはちゃんと意味があったのだ。自分と先生の世界を遠くにおいて描いた漱石と、自分とセンセイの世界を自分の中に描いた川上との違いということだ。いい小説です。
島本理生『一千一秒の日々』。
島本の作品は文句なしにハードカバーで買うことにした。この「最近は〜読書」のシリーズで取り上げるのはもう4冊目になるか。最も好きな作家とは言えないが、最も注目し、新作を待ち焦がれる作家の仲間入り・・・って僕にそんなこと言われても意味ないですが(笑)。
というわけで「一見(イチゲン)買い」だから、「ああ短編集かあ・・・」とちょっと残念な気持ちだった。短編は作家の技術と経験が問われるから、作家としての執筆期間がまだ短い島本では期待できない。まあしょうがないかと読み始める。作家を育てるのは熱心な読者なんだ。
7本入っていて、最初の1本(「風光る」)が全くの駄作。ストーリーは陳腐で伏線の張り方が甘く、あっけない結末。なんだよこれーと思いながら2本目に入ったら、1本目と同じ登場人物名が出てくる。
2ページくらい読むと名前だけじゃなくて設定そのものも同じ、つまり同じ登場人物である。あれれれ、と思って本の帯を見たら「連作短編集」とある。なんだそうだったのか。だったら最初の1本がダメでもこの後があるからと読み進める。
7本それぞれに語り手が異なるオムニバス形式である。
7人それぞれが同じ境遇を経験しながら、それぞれの視点で経験を語るわけだ(もちろん同じ出来事を扱うわけではない)。物語の手法としては「まあ割によくあるよな」というところだ。
残念だったことがある。
それぞれの章に入るときにヴォイスが転換するわけだが、その転換がスムーズではないことだ。話し手が誰に変わったのか、読者がすぐに認知できないのである。
作者が意図的に「ボカシ」を狙ったのか(数ページ読めば会話や状況から判断できる)、単純にヴォイスの転換を書ききる技量が作者にないのかは僕にはわからない。なんとなく後者じゃないかと思うんだけど。
楽しかったところもある。
5人目の語り手である「加納君」の人物設定が僕(信原)にちょっと似ているところである。理屈っぽくて、ちょっと冷たい。
>「いえ、やっぱり僕も(会わなくなった友達や別れた恋人に)会いには行かないと思います。ただ、思い出して苦しい、ちょうどその過去のある時点に戻れるんなら話はべつだけど」
加納君の役ドコロがちょっとイイのは気に食わないんだけどね。
で、全体の感想ですが、やっぱりいいですね。「良く育つものはゆっくり育つ」という諺もあります。
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