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essay エッセイ
それは譲れない 9月5日
  もう15年以上も前のことなので細かいことが思い出せない。

  僕が通っていた高校では体育祭で点数をつけてクラス別(全3学年で24クラス)に競争していた。
  たとえば100M競争で1位になったヒトがいるとそのクラスに5点(2位なら3点)、バレーボールでベスト8に入ると10点、ベスト4だと20点・・・みたいな方式である。


  もちろん高校生の体育祭だから男子の種目は乱暴なものも多い。「騎馬戦」や「棒倒し」が典型である。性欲を発散させるためにやらせるんだろうけど、スポーツというよりは格闘技に近い。
  特に「棒倒し」は激しかった。3メートルくらいの棒を20人くらいで支え、屹立させる。その周りには「護衛」としての守備専門選手(というのかね)が30人くらいいる。そこに相手チームの攻撃専門選手が襲い掛かっていき、制限時間内に棒を倒せるかどうかという肉弾戦である。

  1年生のときはその経験がないわけだから、「本当にそんなことやんのか?」と思ってノコノコ参加したわけだ。もちろん男子全員参加である。
  やってみたらスポーツじゃなくて殴りあいである。守備専門の護衛を押しのけないと棒に近寄れないから、攻撃専門のほうは守備陣を殴り倒す必要があるのだ。信じられん話だなと思って守備をしていたら、当然ながらガツンとどっかの3年生(ハチマキか何かで学年がわかるようになっていた)に殴られた。

  今になって思えば普通の高校生が殴るだけだからたいしたパワーはなかったと思う。血も流れないし倒れもしない。下あごにパンチを頂戴して「いってぇぇ・・・」ぐらいで済むわけだ。
  それにしても、知りもしない・恨みを買った記憶もない相手にスポーツとはいえ殴られて楽しいはずがない。殴り返したいところだが激しい肉弾戦の中でその3年生をもう1度特定するのはとうぜん無理である。
  つまり、こういうことだ。

殴られた事実は、
スポーツの一部として処理されている。



  点数の話に戻る。
  競技ごとの点数とは別に、「参加点」がクラスごとに与えられる。全員参加だと50点とか、そういう感じの「極めて大きな得点要素」に参加することが含められているのだ。
  しかも全員参加と1名欠席だと大きく(たとえば1名欠席だと20点減点になるとか)得点が異なるのだ。全員で参加するという「共同体意識」が高く評価されるシステムだったのだ。

  その高校はいわゆる「左翼系」として知られていた。セレモニーに日の丸・君が代なんて論外、体育祭も学園祭も生徒の自主管理で行われるというアレ系の高校である。だから「全員参加」であることが高く評価されていたのだろう。


  2年生になって、僕はためらわず体育祭を欠席した。スポーツの名の下に、意味もなく殴られたり殴ったりするわけにはいかない。僕は平和を愛する人間ではないかもしれないが、「不当であること」を強く憎む人間だった(今もそうだ)。
  2年生の僕のクラスで欠席したのは僕1人だった。そのためにクラスは全員参加という大きな得点チャンスをフイにしたわけだ。誰かに欠席した理由を尋ねられた。

「くだらないものには、出ないんだよ」


  僕がこの発言をしたことで、僕のクラスの中の立場は微妙なものになった。別にイジメられるわけでもないし、仲間はずれにされるわけでもない。ただ、なんとなく僕に対するクラスメートの視線は冷たいものになった。少なくとも僕はそう感じた。

  その後もとくに変わったことはなく高校生活を送った。少ない友達と普通に付き合い、「まあ信原はああいう奴だから」というレッテルを貼られて残りの2年を過ごしたわけだ。もちろん3年生の体育祭も欠席した。今度は誰も何も僕に言わなかった。


  1年生のときに僕を殴った誰かの目、まさにパンチが飛んでくる直前に僕のほうを見ていた目を覚えている。あれは、僕を殴ろうとしたのではなく、何かそこにあるものを殴りたいという目だった。
  もちろん彼を恨むつもりは全くない。ただ僕はそのときに、世界には意味のないことに意味を見出そうとする(または見出せたと考える)愚かな人間がいるのだと知った。そして、それを支えるシステムを全員参加の名の下に支持する人間のほうが多かったのだ。

  反対を表明するために欠席する勇気を持った僕が異常なんだろう。
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