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あくまで感覚的な意見だが、新書には「クズ」の本が少ないと思う。
面白いかどうかは別にして、その世界の達人というか専門家が書くものだからそうなるんだろう。その専門性の高さをうまく世間レベルまで落とすようにできる編集者がいれば、の話ではある。
・『決断力』 羽生善治
以前に紹介した『集中力』(谷川浩司)とセットになる本だろうか。
羽生と言えば将棋の圧倒的と言っていい第1人者である。将棋ファンならご存知のように(←このページの読者にそんなにいるとは思えないが)多忙を極める棋士である。勝ちすぎるからタイトル戦に出る回数が多すぎて、自分の将棋の研究をする時間もロクに取れないほどらしい。
したがって、書籍は専門書を除けば口述筆記になる。
本人が話した内容を書物にまとめるゴーストライターが存在するわけだ。ところが本書に関しては、このために問題が生じた。
前述の『集中力』と同じ文章になっている部分がいくつかあることが問題になった。結果としては盗作疑惑である。
同じ(ような)情報をインプットして、別の機会にアウトプットすれば、結果的に、同じような文章になることは当然ある。僕自身もこうやって毎日欠かさず日記を書いていると、同じ言い回しを使ってしまうことが多いと思う。
それはともかく、内容だ。
>リスクを避けていては、その対戦に勝ったとしてもいい将棋は残すことはできない。次のステップにもならない。それこそ、私にとっては大いなるリスクである。いい結果は生まれない。私は、積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にすると、いつも自分に言い聞かせている。
僕は羽生先生を強く尊敬している。
・『自信力が学生を変える』 河地和子
僕が教えている受験生の質が変化していくなら、彼らがのちに大学生になったときも「質が変化している」はずだ。
僕の世代、つまり90年代前半あたりに大学生だったヒトたちは、ハッキリ言って大学生として真面目に勉強していなかったイメージがある(少なくとも僕はロクに勉強していなかった)。しかしまた一方で「勉強してなくたって何とかなるよな」という根拠のない自信を持っていたような気がする。
ところが本書によると、イマドキの大学生はそうではないらしい。
大学の勉強に積極的に参加して(少なくとも参加する意欲を強くもって)いながら、自信がないということだ。
そこで、現在の大学生の意識を調査して、彼らが自信を持つために学生や教員や親が何をすればいいのかを提言しようというのである。
その調査対象についての記述。
>首都圏の大学1年生から4年生の合計2104人を対象に、アンケート調査と(内98人に)インタビュー調査を行った。調査校は9校―青山学院、慶応義塾、大東文化、中央、筑波、東京電機、東洋、横浜国立、和洋女子である。
なかなかバランスが取れたというか、バラエティーに富んだ組み合わせである。受験産業に属する立場の僕からすると、「このアンケートが平均値とはいえないかもだけど、様々なヤツがいそうだな」という感じ。
自信力を高める提言は「ピンとこない」、つまり具体的な感触を得られなかったが、個々の学生のインタビューは面白かった。ふーん、最近の若いものはそんな風に考えとるのかという感じである。新人教育に苦しむリーマンの皆さんは参考にしてください?!
・『オレ様化する子どもたち』 諏訪哲二
今度は逆に、僕が将来教えることになる子どもたちを論じている。
日記で何度となく書いているように、すでに僕が教えさせていただく生徒様の一部は「オレ様化」している。
「オレ様化」と言ってもエバルとかわめくとかそういうことではない。自分の世界だけで生きる習慣がついてしまっているから、ヒトの話が聞けない。我慢もできない。遅刻して教室に入れば 「遅刻したから何だ、オレ様の都合だ」 とノシノシと教室に入り、バタバタと教材を取り出す。そしてその行動は
「本人に悪気はない」
と評される。悪気がないことが問題だと思うんだけど。
それはともかく、著者は学校の先生である。
公教育の現場に長く立ち続けて、「オレ様化」が進行するさまを見続けてきたようだ。
>子どもが変わったということは、子どもが「共同体的な子ども」から「市民社会的な子ども」に変わったのだと規定することができよう。
これはかなり本質を突いた論ではないかと思う。
子どもは究極的に(つまり大人になるまでに)市民社会的な個を完成させなければいけない。そのために公教育があるわけだ。
しかし今の子どもは、それ以前に必要な共同体的な個の確立がなされていない。何しろ共同体という考え方が世の中全体から消えつつある(またはすでに消えてしまった)からだ。
この本の結論は、文字通りに本書の最後の1文にある。
>公教育は近代的な市民形成にかかわるものとして自己限定するべきなのである。
この1文がつまりどういうことなのか気になる人にとっては、読む価値があるんじゃないか。
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