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essay エッセイ
『ギャラリー・フェイク』 11月20日
  フェイクとは英語の fake 、贋作(がんさく)=ニセモノである。
  ニセモノを扱う画廊。その主人であるフジタ。助手にしてフジタの恋人と言えなくもないサラ、あるいは「ジョコンダ」の物語。


  件名は漫画のタイトルだ。


  ジョコンダはダ・ヴィンチの名画『モナ・リザ』のモデルとされる人物の1人である。
  全32巻である本書には、数回にわたって「もう1枚のモナ・リザ」をめぐる物語が出てくる。ルーブル美術館にある「真作」とは別の「モナ・リザ=ジョコンダ」が存在するとされている。
  どこまでを fake と呼ぶのか、どこからが真作となるのか。美術品の目利きにして修復家であるフジタの贋作商売は続く。

  そして、「もう1枚のモナ・リザ=ジョコンダ」を発見した直後に物語は終わる。フジタの最後から2番目のセリフはこれだ。

>知られざる幻の「モナ・リザ」は、まだまだこの世界のどこかにある(32巻)。


  フジタ。
  贋作商売を宣言する彼は、また同時に真作をも扱う。
  しかしその多くは盗品。「塀(刑務所の塀)の向こう側に落ちないように」それらを売りさばく。場合によっては、フェイクを真作と騙して売ることもある。

>真に美を愛する能力のない者には、それがふさわしい(4巻)。


  サラ。
  中東の某国の王族の娘。偶像崇拝が禁じられたムスリム(イスラム)教徒でありながら、アートを愛するようになる。
  「小うるさい」とフジタに思われながらも、この物語は彼女を抜きにしては成立しない。狂言回しであり、同時にヒロインの役割を務める。

  シロウトの立場に立ったサラ。
  読者と同じように、アートの世界では素人。目の前にある作品に美を感じながらも、その社会的価値(もしそんなものがこの世界に必要であるとすればの話だが)を知らない。
  知らないからフジタに質問する。彼は明晰に答えることもあれば、「そんなことも知らないのか、バカ」と突き放すこともある。

  ヒロインとしてのサラ。
  愛されるべきキャラクターとして可愛らしい振る舞いをすることもあれば、フジタのボケに対するツッコミの役割も果たす。彼女の愛が個人としてのフジタに向かっているのか、美を愛するフジタに向かっているのか、美そのものの具現者としてのフジタに向かっているのか、それはよくわからない。


  フジタ。
  彼自身はアートを作る者ではない。メトロポリタン美術館の元学芸員。その修復技術と鑑定能力で「プロフェッサー」と呼ばれた男
  あくまで美の伝達者として振る舞い続ける。


  仏の彫像を手違いで割ってしまった評論家に迫る(30巻)。
  俺に修復を依頼するなら、それと引き換えに一筆入れてくれ。あんたが死んだときに、俺がこの美を管理するんだと署名してくれと。


>私が言いたいのは、これが世界的文化遺産であり、あなたが一時的に預かっているにすぎないってことです。
  そしてあなたに万一のことがあれば、誰かがその義務を相続しなければならなくなる。
  いつか未来の人類に届けるために、現在これを保管する意志と能力を持った人間にね!!


  この趣旨は作品のあちこちに現れる(『良いのだ、誰のでも。このモナ・リザは充分に美しい』<25巻>)。
  フジタは続ける。


>しかしさァ、それをあんたには任せられないんだよ先生!
  はるばる海を渡った仏様の頭(を)割らすようなドシロウトにはよ!!

>だからその人間は私が選ぶ!
  そのように一筆書いていただけますか。



  フジタ。
  体力のない、武力も経済力も持たないアートのギャングである。美術界の鼻ツマミ者、喫煙者、腰痛持ち、パチンコ好き、カニの偏愛者、ごろつき

  美意識のない人間を際限なくだまし続ける。
  しかし、それが目的ではない。
  いつかどこかに過去の美を残すこと。そしてできれば、自身がそれを一時的にでも共有すること


  フジタ・レイジとサラ・ハリファ。
  フジタはどこまでも「ジョコンダ」に代表される美を追いかける。
  「サラ」という名前の由来は、本書最後の章である『最後の審判』で明らかにされる。「ジョコンダ」の正統な相続者を意味する名前。

  フジタは、何を探していたのだろう?
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