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2005年11月、僕は能登半島を目指す。
中央本線の「特急あずさ」は意外に混雑する。
喫煙の指定席ですらほぼ満席。
乗客のほとんどはビジネスマンだ。新宿から90分の甲府で多くの客が降り、下諏訪でかなりの客が降り、3時間近くかかる松本に着くころには空いている。
左前方に日本アルプスが遠くに見える。雪化粧している。
松本駅で降りる。快晴で空気もキリッとしている。
北国の駅のホームにある立ち食いソバ屋はそれ自体が旅情だ(決して駅舎オタクではないので注意されたい)。
しかし駅は工事中。見つからないので改札を出てから食べる。味は普通。
レンタカーをゲットして、まずは北上する。
30分ほど走って、穂高にある碌山美術館へ。
碌山(ろくざん)というのは彫刻家の名前である。
はっきり言ってコノ人のことは何も知らなかったけど、いい機会なので寄ってみた。
展示室は4つあるが、どれも扉が開放されていて寒い。
客は僕を入れて5人くらいなのか。人の気配がない彫刻美術館は不気味である。彫刻に対する造詣もないので、ザッと回る程度にしよう。
彫刻は触って味わうものだと思って触りまくる。
うう〜ん、この丸み・・・(逮捕)。
などとやっていたら、片隅に「彫刻に触るんやないで、ボケナス」と注意書きがある。あれま。ちゃんと目立つとこに書いてくれよな。
さらに北上して白馬へ。
98年の長野オリンピックの会場の1つとして有名な場所だ。
少しくらい雪模様になるのかなと恐れていたが、まだ雪の気配はない。街道を離れて少し山を登ると、当時のジャンプ競技の会場(つまりジャンプ台だ)が見えてくる。
ペンションや別荘がたくさんある。雪の直前の景色らしく、木々は目イッパイ紅葉している。なんとなく長野みたいだな・・・と思っていたら、ここも長野じゃないか。
今度はラフォーレ白馬美術館美術館へ。
なんで旅先まで来て美術館めぐりをしなきゃならんのかという気もするけど、特別な観光地があるわけでもない。
日常から離れた場所で日常を見つけること。
これも旅のテーマの一つなのだ。
客は僕一人だけ。
30人くらい収容できる小部屋に招かれ、マルク・シャガールの生涯についてビデオ学習。はあはあなるほどねーと感心して観たんだけど、もう内容忘れちったい。
肝心の作品はシャガールの版画が中心。
シャガール→変な油絵
というイメージがあるが、なんのなんの版画もたくさん作っていたのだ。しかしこんな山奥にねえ・・・。1時間足らずの滞在で他の客は2人。
北上。
街道はJR大糸線に沿っている。鉄道の軌道と車道と川が寄り添っている。糸魚川に通じるこの街道は、かつて「塩の道」と呼ばれたという。
大糸南線の終着駅は南小谷(みなみおたり)。
これより北は大糸北線でJR西日本の管轄になる。なお、「北線」「南線」は俗称で、この大糸線のように南北に走って峠を越える路線に対して使われる言葉だ。
この路線のように峠を越える場合は峠の南と北から鉄道を作るので、「全通」するまで、それぞれは「北線」「南線」と呼ばれることに由来する。全通がかなわなかった路線の例として、越前と美濃を結ばんとした「越美(えちみ)北線」が現存している。日本国民は使い方によくよく習熟されますよう。
街道はスノージェット(道路の上にある雪覆いのこと)をいくつも潜り抜けて
糸魚川に出る。
おお、日本海だ。ここからは海沿いの国道8号線。「道の駅」親不知(おやしらず)で休憩。
道の駅とは、一般道(=高速道路の対義語です)にある公的なドライブインのことである。正確な定義を知りたい人は「ここ」を参照のこと。国土交通省の管理なのか。これは知らなかった。
親不知とは、地名の1つ。日本海に沿う道の難所だった。関西方面から見ると、左手に怒り狂う日本海、右手には落石覚悟の山がある。
親子で旅をしていても「親のことなんてマジ知らねー(親不知)」ほど危険だったとか。今でも付近は海にせり出す山道のようになっている。
もう夕方が近い。国道をはずれて海沿いの道を選ぶ。
5時前、暗くなる前に富山港線の終点、富山港駅を再訪。18歳のときに富山港線に乗りにきたのだ。なつかしいなあ。人の気配はない。貨物を運搬する機能としての鉄道は、すでに終わろうとしているのだ。もちろん無人駅。
ああ、いいなあ・・・。
やっぱ、世界はテツだよな。
夕闇が訪れる。宿泊地は富山。
18歳のときに富山で宿泊したことがある。
浪人が決まって、高校を卒業した頃だ。浪人生として予備校の春期講習に通う直前である。
富山で泊まったのは前述の「富山港線」と後述の「氷見線」に乗るためだった。
ビジネスホテルを取って、飲み屋に入り、カウンターの左隅で飲んだ。独りで飲み屋に入ったのはこれが最初だったと思う。酒を飲むこと自体にはそれなりに慣れていたけど(おい)、ひどく緊張した。18歳なんて、この広い世界ではただのガキだ。
ビールを頼んで、つまみは主人に任せた。まだ6時過ぎで、他に客はいない。
甘エビの卵を食べさせてもらった。旨いのかまずいのかよくわからなかった。
「学生さんですか?」
「ええ(浪人だけど)」
「どちらの? 東京?」
「そうです(千葉だけど)」
この会話しか覚えていないし、泊まったホテルも店の名前も記憶にない。
あのときから17年。僕も少しはオトナになったつもりだ。そういう甘っちょろいセンチメンタルから富山に泊まることにしたのだ。
富山駅北口にあるビジネスホテルにチェックイン。
オークスカナルパークホテルは、営業を始めてそれほど時間がたっていないらしい。「じゃらん」経由で9000円の部屋が7235円(素泊まり)。
北口は再開発されているらしく、道が綺麗だ。言い換えれば盛り場は南口にある。駅をくぐる地下通路を歩いて街を歩く。
路面電車が走っている。
いまどき日本にいくつあるんだか・・・と普段は思っているが、今思い出せるだけで5つ(長崎、松山、広島、函館、東京)か。これで6つ目。けっこうあるんだね。
東京と松山のそれは「未乗」だが、それ以外はもちろん試してみたことがある。どこでも意外に混雑しているものだ。富山も同じような感じ。
思い出の(?)飲み屋を探す。しかし正確な記憶もないから、小1時間ほど歩き回っても見つからず。
「感傷にひたる30男」を演じるのも難しいもんだ。
「活魚」の店を選ぶ。
なかなか渋い店だ。刺身はシメた直後が美味しいものばかりではないから、活魚=旨いということにはならないのだが、まあいい。値段は高くなさそうだ。店の前に生簀(いけす=水槽のこと)が3つくらいある。エイやッと入店。
メニューはない。むむむ。ディープすぎたか?
広い座敷がどーんと広がり、カウンター席は10人分くらいある。目の前が厨房になっているのに、そこに料理人はいない。別の場所にも厨房があるらしい。
独り客は来ないタイプの店のようだ。
しかし店のおばさんの対応は普通。
「あれま。このお兄さん一人なの。あれま。でも別にいいかしらね。ほっとけばいいし。あれま」
みたいな感じで(普通じゃないかな)、人のいないカウンター席へ誘導される。
座ってみると、使われていない厨房というのは妙な寂しさがある。
「うちには魚しかないんですよ。刺身か、焼き物か、煮物か」
えれーアバウトなメニューですなあ。
「白海老はある?」
「あー、今日はないんです」
「じゃあ刺身を何かください。任せます」
「刺身1人前ってことで(やっぱりアバウトか)」
どでんと舟盛りがやってきた。
なかなか旨い。魚の説明をしてもらったが、いわゆる地魚(じざかな=地元でしか取れない魚)が多いようで知らないものばかり。旨いからいいか。
日本酒の熱燗に切り替えてボンヤリ呑んでいると、店主らしきオッサンが来る。
「大将! 煮魚も食べてよ」
「あー、そうすか。焼くか煮るか考えてたんだ。じゃあ煮てよ」
「(値段は)高くないよ。絶対旨いから!」
注文してから5分ほどで出てきたのはブリの尾っぽ。
あるいは余り物だったかもわからないけど、確かに旨かった。11月というのは、ちょうど寒ブリの走りの季節なのだ。
ほろ酔い。けっこう寒いけど、ひとり旅の自由を満喫している感覚。
ホテルに戻ろうとすると、街路に「富山ラーメン」の文字が。
ふだんは呑んだ後に食事をすることはないのだが、まあ何かの記念に・・・と試してみる。
しょうゆ味。並で650円。全てチャーシュー麺。
味は、えーと、ものすごくマズイ(;一_一)
では次回から本題の激走です(やっとかよ)。 |
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