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『好きだ、』 4月29日

  ポスターでこの映画を知った。
  上部には高校生らしい女の子、下部には高校生らしい男の子。ふたりとも少しだけ上を向いて、大きな背景は空だ。映画というより写真を観ているような気がして、目が悪い僕はポスターに近づいた。

  あれま、やはり女の子は宮崎あおい。
  以前から彼女のことはよく書いているような気がするが(ってか書いてばっかりかもしれないが)、どこかから呼びかけてくるような気配がある。
  決して、いわゆる可愛い女の子ではないと思う。それでも、雰囲気がある。顔とか美貌とかそういうものではなくて、生まれつき持っているだろう人間の力。僕はそういうものにアコガレを感じる。嫉妬は感じない。


  調べてみるとずいぶんとマイナーな映画みたいだ。
  特に映画好きではない僕あたりには、そのタイトルさえ知らされてない。つまり、宣伝費がかかってない(かけられない)映画である。この手の作品は、たいていがB級以下。何かの間違いで、掘り出し物。さてどうだろう。


  17歳の2人は、名前で呼び合う。
 背景知識が与えられないからよくわからないけど、幼なじみで高校の同級生ということらしい。宮崎が演じるユウは姉と二人暮らし。姉は恋人を亡くしたばかりだ。
  もう一人の主人公ヨースケ(瑛太)は、とつぜん音楽に目覚めてギターを弾きだす。音楽を職業にしたいと夢を語る。そのわりには同じ曲の同じ部分しか弾けない。


  高校生のころに戻りたい。
  そう思う人は多いのだろうか。僕はまったくそう思わない。高校生に限らず、過去の自分は全て捨ててしまいたい。たとえそこに、今は感じることもない恋があったとしても、それは同じ。僕にとっては、過ぎてしまったものは過ぎてしまったものであって、もう1度そこに戻っても意味はないものだ。


  ヨースケはユウの姉に恋をしている。
  ユウはその仲を取り持つ。姉を救ってあげたい。でも同時に、ユウはヨースケのことが好きなのだ。それが伝えられない。どうしても、一言が出ない。一言が出ないのか、勇気が出ないのか。

  宮崎の演技は、多少のひいき目があるにせよ、すばらしい。
  この作品にはほとんどセリフがない。なぜなら、「現場では台本なし、キーワードだけが渡されるという独特の撮影方法(ヤフーの映画評から引用)」が用いられたから。表情だけで、感情を伝える。そのときに、彼女のもつ雰囲気が強く出る。少なくとも僕は、少ないセリフや遅すぎるカット展開の中に物語を作って画面を観つづける。


  17年が過ぎて、二人は再会する。
  34歳になったユウを演じるのは永作博美。宮崎に比べるとスケール感が小さいような気もするけど、年齢を重ねるというのはそういうことかもしれない。偶然の一致なのか、意図的なキャスティングなのかは不明。

  「うまくいかない時には、目をつぶって素敵な自分を思い出す」という意見があると34歳のヨースケは言う。君はどう思うとユウにたずねる。

>私が輝いていたのは、ヨースケが知らないとき。


  イヤになるほどスローテンポな作品。
  あまりに退屈な駄作だとする人も多いだろう。


  映画の最後で、宮崎が言えなかったセリフを、永作が引き継ぐ。
  その一言は、今さら口にしたところでどうにもならないんだけど。17年間の空白は、もう埋まらない。

  空が何度も映し出される。
  快晴の空はほとんどない。
  観客は空を見上げて、俳優たちの息遣いに耳を澄ませる。いつか自分が演じていた、若い日の恋を思い出して、あるいは忘れようとして、映画の中に自分の物語を作っていく。もう帰ることはできないから、新しい物語をつむぐのだ。
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