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essay エッセイ
最近はこんな読書15 5月16日

  君は雑学に詳しいね。
  こんな言葉を吐く奴がいる。ホメ言葉のつもりかもしれないが、不愉快だ。あるいは、けなし言葉のつもりかもしれないが、やはり不愉快だ。
  この世界に独創性を持つのは一握りの天才のみ。ほとんどの凡人は小さな知識から自分の世界観を作っていく。
  とカッコいいこと言いながら雑多な本を読むアタシ。


<旭山動物園>革命』  小菅正夫

  旭山動物園は北海道の旭川市にある。旭川市に旭山という山があり(まぎらわしいな)、その山の斜面に建っているそうだ。
  この動物園は2004年に月間入場者数で(一時的とはいえ)上野動物園を上回ったというハイパー人気なのである。真下から見ることができるオランウータンの空中散歩の様子あたりはTVで放映されることが多いかもしれない。

  本書の内容は題名の通り、「どうやって不人気動物園が生まれ変わったか」である。筆者は現役の園長さんである。
  革命は、現実的にできることから一つずつ始めることの繰り返し。地味と言えば地味だが、確固たる信念に基づいて行われる。

>動物園に珍獣はいらない
>動物の「死」を通して、子どもたちに死の意味を伝えていこう
>人間の命も、人間という入れ物の中にたまたま入っているだけ
>飼育係の一人一人に能力の差があるのは当然である
>(絶滅させた)トキのことを本当に反省していないのではないか

  これらの引用だけ読むと、あるいはカチンと来る人もいるかもしれない。
  しかし筆者は、あるいはこの動物園は、これらの信念を具体化することを地道にやってきた。その具体策が丁寧に説明されている。ものごとの進め方というのはこういうものなんだな、と再確認できた良書。


イヌイット』  岸上伸啓

  極北に住む人々である「エスキモー」のことを僕が知ったのは、たしか小学生のころ。今は亡き冒険家、植村直己の書物『極北に駆ける』である。
  僕がそのときに抱いた、そして今まで抱いていた「エスキモー」のイメージ。

・アザラシをつかまえる
・その内臓を生で食べる
・クマを撃つ
・その毛皮を剥いで売る
・原始的な生活をしている
「向こう側」にいる

  記憶に前後の時間差があるかもしれないが、僕が小学生の高学年のときに「ブッシュマン」(これは今は差別用語だそうな)というアフリカ原住民のことが話題になった。またあるいは、このころインディアン(これも今はアメリカン・ネィティブと言うべきだそうな)やアボリジニ(オーストラリア大陸の先住民。言い換え語はあるのか?)の存在も知った。
  僕が「向こう側」という意識を持ったのは「こちら側=文明社会、向こう側=非文明社会」という世界のわけかたを意識したということである。これはもちろん差別的感情を僕の無意識の世界に作ったことになるが、それはともかく本書はイヌイットの現状を描写している。

・アザラシの内臓を生で食べる
→これは今でも同じ。

・クマを撃ち、毛皮を剥いで売る
→これは激減。欧米の動物保護運動の影響を受けているとか。

・原始的な生活をしている
→これも激減。都市生活をするイヌイットも増加しているし、極北地域でも普通のカナダ人と変わらない生活(ネットの使用なども普通)をしている。

  植村が描いたエスキモーの姿は30年ほど前のもの。
  本書が描くイヌイットの姿はここ10年ほどのもの。僕が持っていた「向こう側」の意識は消えつつある。


英語ができない私をせめないで!』  小栗左多里

  夫が英語のネイティブでありながら、英語が話せない書けない読めない漫画家のエッセイ。イラストがたくさん、マンガも少々で気楽に読める。

  英語を身につけるために何をしたかの記録。
  英会話スクール、ネット、旦那に相談、英語の本を読書、ラジオ英会話など、あらゆる手段を試す。しかしそれらで学んだことは「覚悟を決めて、継続するしかない」というショボイ結論。またそれはそれで真理ではないかという気もする。だから、真面目に英語を身につけたいヒトが読むものではない。

  面白かったのは、わからないなりの苦労話
  たくさん出てくるので、3つに絞る。

>「スパルタ」。これが学習に向いているのかという問題。私の場合、「向いていない」。

  んー、語学に限らず最初の一歩は苦しむべきだと僕は思う。
  短期目標がないという原因もあるが、僕の水泳がいつまでも「300メートル7分」で止まっているのはスパルタの欠如のためであろう。ネイティブのように言葉を獲得するというのは、必要という名のスパルタがあるからだ。

>言いたいことに力量が追いついていないから、文法が間違っていても単語を並べまくって意志を表明するのだが、そうすればたいていはわかってもらえる。やっぱり技術よりハートだよね、という話ではなくて、上達するために行っているのだから、「より正しい言い方」を知りたいわけである。

  これは英会話学校のフリー・カンバセーションのクラスに関して。
  なるほど、確かに「通じるだけ」では学校に通う意味がない。それだけでも進歩だというのは事実だし僕もそう思うけど、これに関しては著者も強めに発信している。

>(英会話学校は)初心者クラスだけが混んでいる

  それじゃあ何にもなってないじゃん結局は、と言うことであろう。

  一応は英語を教えさせて頂いている僕にとって勉強になる1冊だった。いい本です(^_^)
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