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才能か、教育の力か? 5月25日

  初めて読んだ岡崎玲子の著書は『チョムスキー、民意と人権を語る』である。
  あとで述べるように、正確に言えばこの本の著書はチョムスキーということになるが、19歳の岡崎玲子が関与していることに驚きを感じた。嫉妬ではなく、「こいつは、すごい能力のある人間だ」と脱帽させられたというところだ。
  まずは、実際に僕が読んだ順番に彼女の著書を紹介する。


チョムスキー、民意と人権を語る

  チョムスキーはハイパー有名な言語学者。僕は言語学のことを全く知らないし、知りたいと思わないし、知るだけの知性もないのだが、それでもチョムスキーの名前だけは知っていた。スポーツ界でたとえれば、プロ野球におけるイチローと松井秀喜を足して相撲の朝青龍を混ぜてスケートの安藤ミキティをトッピングしたくらいの有名人である。
  また同時に国際政治評論家としても知られる。特にアメリカを痛烈に批判するため、パラドクシカルに(逆説的に)「世界最高のアメリカ信奉者」と評されたこともあったと聞く。

  最初の70ページはチョムスキーに19歳の岡崎玲子がインタビューする。内容は広く浅く国際情勢に関して。軍事介入と国際社会の関係、京都議定書とアメリカの関係、イラク制裁と国連憲章との関係などなど。
  中盤の10ページはインタビューの所感を岡崎が述べる。彼女は12歳で英検1級を取得し、コネチカット州のチョート校に留学したインテリの卵。
  最後の70ページはチョムスキーの論文。世界人権宣言とアメリカの政策の矛盾点を豊富な資料をもとに検証する。

  正直に書けば、よくわからない部分が多かった。自分が国際社会ということを何も理解していないことを痛感させられた。
  また同時に、これほどのハイパーインテリにインタビューできるほどの知性のある19歳に脅威というか畏怖を感じた。自分が生きている世界の知的レベルの低さを知ったというよりも、彼らが生きている世界と僕のそれとの「知的格差」があまりにも大きいことを知ってしまった。
  この乖離を埋めることはできそうにもないけれど、自分が知らない世界に取り組むということをやらなければいけないと強く反省した。たとえそれが読書という生産性の悪い(もっと言えば効率の悪い)ものであるにしても。


9・11ジェネレーション

  タイトルの前半は2001年のテロを示す。
  その当時、コネチカット州のチョート校3年生になったばかり(9月が年度始まり)の岡崎玲子は、教師に「きみたちは9・11ジェネレーションだ」と命名される。もちろんこの言葉は比喩である。知的エリートを育てることを目標とするチョート校で、この危機的な時代に学ぶことの意味を考えろということである。

  テロを取り巻く状況を踏まえて学習が行われる。
 時間軸からすれば後述の『レイコ@チョート校』の直後から始まるわけだが、本書の前半では学習の内容よりもアメリカ人の情況またはアメリカ社会の状況を冷静な目で観察している。

  後半はその1年半後、イラク攻撃を始めたアメリカ社会に視点は移る。
  戦争そのものの賛否。それに関する著者自身の見解。

>開戦の発表があったとき、「なぜこんな状況に突入したのか、真実を見極めよ」と指示する学長の言葉があった一方、この戦争の位置づけは将来の歴史家に任せようという声が多いことには、ショックを受けた。

  エピローグでは、テロに源を持つ戦争に関連して日米同盟のあり方にも疑問を投げかけている。

><国際貢献>が求められている、と小泉首相は繰り返す。(中略)1999年5月、ハーグで開かれた「ハーグ平和アピール市民会議」の歳に「日本の憲法9条を参考にしよう」といわれた事実が、どれだけ知られているだろうかと思う。日本の武装化で得をするのは、アメリカのみ。これを忘れてはならない。(中略)有事法制論議の場では、なんとしてでも改憲を理屈づけようともがくより、21世紀の国際秩序を形成するための多彩な提案がなされるべきではないだろうか。

  思考をはぐくむ教育をきちんと受けた人間ならではの論調が心地よい。
  事実を列挙し、それを観察し、資料に基づいて検討し、では何をするべきかを指摘する。国際情勢にうとい僕なので詳細についてはわからなかったけど、これだけの論を18歳で持ちうることに脱帽する。
  正直に言えばかなり難しかったので、いつかは再読する必要がありそうだ。


レイコ@チョート校

  これが岡崎玲子の処女作(しょじょさく=デビュー作のこと)である。
  僕はこの書名をずいぶん昔から知っていて、立ち読みしたこともある。ざっと見てイメージ的に感じたこと。

「けっ。どっかの英語ペラペラの姉ちゃんがのんきに留学かよ、ぼけ。勝手にしろ。ペッ(ツバを吐く)」

  ひどい誤解だった。
  上記の2冊の著作を読んで「この女の子、並みじゃない」と確信して買うことにした。ただの英語ペラペラな「だけ」の姉ちゃんがあんな本を書けるわけがない。どういう教育を受け、どういう努力をしたのか。どういう才能が生まれつきあったのか?

  本書ではチョート校の生活が詳述される。
  発表や試験のために徹夜なんて当たり前、それでいて各種のパーティーを週末にこなすのも当たり前。授業のない時間にはボランティア。国家の将来を担う人材を育てるための教育は全て与えられる。

  以下は陳腐な表現だが、大統領になる人は全てが万能でなければいけないという。頭が良くて勉強ができて、社会性があってスポーツもできる(ちなみに、チョート校はJ・F・ケネディーの出身校)。
  そこに至るとまで言わなくても、近づくために必要なことを与えられる。そして玲子はそれをこなす。しかし、それを記述する彼女の文章には「私はこれだけのことをやってきた」という自負なり自慢なりは存在しない。そこにあるものをそのまま伝えることに終始する。

  文章は、前記の2作に比べればはるかに幼い。
  あるがままを伝えることでイッパイという印象を受ける。しかし、日本語でも彼女の文章に乱れはない。これだけキッチリとした文章を書ける16歳を少なくとも僕は知らない。
  少しだけ残念なのは、高校生らしい(←差別?)恋愛の話が出てこないこと。ちょっとだけでも匂わしてくれないかと思ったんだけど。


  著作の紹介はここまで。

  彼女は日本に生まれ、幼児(3歳?)のうちからカリフォルニアで過ごしている。
  そのあとで(8歳ころ?)中国の広州にわたり、日本に帰国している(11歳ころ?)。15歳のときに「チョート校」の存在を知り、受験して合格。日本の中学は3年生になったあたりで退学(?)して、チョート校(おおむね日本の高校に相当する)には2年生として入学。
  小学6年で英検1級、中学1年でTOEFL670点、同2年でTOEIC975点。同時に国連英検特A級取得。

  ・・・ハイパーエリートの卵じゃん。
  ご存知のように、上記4つの「資格」は英語力だけで取れるものではない。人間力と言えばおおげさになるが、高い知的レベルが条件になる。その萌芽は、彼女が7歳(!)のときにジョン・F・ケネディーに関するレポートを書いたことにも見られる。

>図書館の本で時間をかけて調べ、キューバ危機まで含めたかなり詳しいレポート(『レイコ@チョート校』)

  彼女が7歳の年(1992年)にブッシュとクリントンの大統領選があり、学校で大統領選のシステムに関する教育がなされたという。それ、どういう小学校なんだよッ、というのが正直な感想。


  岡崎が今、どういう境遇にいるのかは知らない。
  大学生かもしれないし(たぶんそうだろう)、ジャーナリストとしての何かしらの修行をしているのかもしれない。
  たとえ彼女が選ぶ職業が何であっても、豊富な知識を前提としてモノゴトを明晰な頭脳で考え、自分なりの提言をする人間として成長を続けるのだろう。

  唯一の不安があるとすれば、苦労は知っていても挫折の経験がないということだが、そんなものは蹴飛ばしていくだけの生命力を感じる人だ。あるいはすでに、僕が想像するような、そういう段階を超越しているかもしれない。


  結論。
  才能は天から与えられ、それを補うのは教育と本人の努力である。たぶん、彼女はそんなことすら認めないだろうけど、凡人の僕にはその程度の推察しかできない。
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