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あたかも大きな石のように(後編) 6月6日

  1998年、小さな浪人予備校で仕事をしていた。
  進学が決まった元生徒様10人くらいと祝賀会という名前の飲み会をすることになった。もちろんジュースを飲むのだ。

  今日でお別れということだから、元生徒様たち同士でケータイ番号の交換が始まる。
  もっとも僕はケータイを持っていないから蚊帳の外(かやのそと。関係ないことのたとえ)である。それは別に構わないのだが、ちょっと不気味なことになった。


  それぞれが番号の交換を終えたあとのことだ。
  彼らは自分の携帯電話で履歴や登録した番号をチェックし始めた。そして――今思い出してもゾッとするんだけど――その動作が20分くらい続いた。
  飲み会に出席している僕以外の全ての人が、自分の(!)ケータイ電話に見入っているのである。そこに会話はない。


  僕も言葉を失って、彼らの姿を見ていた。
  まだメールのシステムがなかったから、見られるのは履歴と番号だけなのである。いったい、それを今見る必要があるのだろうか。というより、それを見ることのどういう部分に楽しさを感じるんだろうか。

  その小さな予備校を僕はその年度でやめてしまった。以後、彼らと連絡を取り合うことはない。


  その翌年、1999年あたりには僕の周りのほとんど全員がケータイを持つようになった。
  正確な記憶がないけれど、ちょうどiモードというシステムが発明されたころだと思う。当然のこととして、「なんでお前(信原)はケータイを持っていないんだ」という話になる。周りが全員持っていると、持っていない奴が迷惑。これは実にわかる話だ。そうは言っても、僕は電話そのものが嫌いなので多少(かなり)の反感も受け流した。


  2001年、やっとケータイを入手する。
  2年間使ったら充電池が消耗し、交換しようとお店に行く。「電池を交換するより新しいものを買ったほうがトクですから」と言われる。環境に与える負荷の問題はまだ考慮されていない、幼稚な文明の利器。

  2003年、カメラのついたそれを入手する。
  カメラの機能は2006年の今まで5回くらいしか使っていない。メールをするのも面倒なので、メールを受信することも少ない。1週間に1通も来れば多いほうだ。


  たしかに、これがあることで便利になった部分のほうが多いんだろうなと思う。それでもまた同時に、鈍器であった時代が懐かしくもある。2007年3月、日本のケータイ契約台数は1億台を越えるという。

  たぶん、この文章が50年くらい先に読まれるとすれば、「そうか。平成の世というのはすごい時代だったんだな」と思われるのかもしれない。そう思うのは50年後の僕自身であるのかもしれない。
  進歩って、そういうものだ。過ぎてしまえば、当たり前になること。
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