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大学4年生の秋に、常勤としてのオファーをくれたのは2つの私立女子高であった。
一つは千代田区にある典型的な中堅女子高。付属の中学があって、もちろん大学(短大)の付属高校。卒業生は8割くらいが短大に進学する。
ときどき4大(4年制大学)に進む人もいるが、基本的には女子としての教養・素養を入れてあげて世間に出してあげるような女子高。実に平和だ。校則もきちんとしているし、歴史もあるからアーパーなコギャルやヤマンバ(両方とも死語だね)もいない。
月給が諸手当コミで27万以上。
1993年ごろの相場としては、ゼンゼン悪くない。実家から1時間もかからないで通える。それはまあ常勤だから多少朝は早いが、進学指導や部活に特別に力を入れているわけじゃないから、いかにものんびりできそうだ。適当なところで生徒に手を出して奥さんにするんだろうなあ・・・ということを学校も期待しているような雰囲気である。
もう一つは江戸川区にあるやや学力レベルの高い女子高だった。
進学校になることを目指しているようで、かなりやる気に満ちている。今まではいわゆる中堅上位高校だったが、これからの少子化を見越して我が校のウリを進学指導にする・・・という過程についた直後の学校である。
月給はやはり26万程度。
このあたりが私立高校教員の相場だったのかもしれない。僕が通った中学校の同級生もそこに入学した人がいたと思う。結構厳しそうだが頑張れるレベルでもある。
さてどうするか?
結局、2つの女子高には採用されなかった。
片方は選抜されず(つまり途中で落ちた)、片方は土俵に上がる前に断ってしまった。
江戸川区にある女子高の面接は面白かった。
5人くらいの集団面接で採用側(つまり面接官ですね)は3人くらいだった。面接というより、彼らの信念表明に近い。ある面接官はこういう。
「我が校は進学に向けて力を入れているのであるのであり、一般的な女子高というイメージで働いてもらうわけにはいかないのであるのであるのだ。ましてや、生徒の諸君とどうにかこうにか、などということを考える余裕は、(ここでいったん息をつぐ)ないと思っていただきたいッ」
という調子だ。
演説者は30歳前くらいの教員であり、雰囲気としては「右翼団体の若頭(わかがしら)」という感じである。若頭ってヤクザの世界の用語だっけ? まあ、そういうイメージ。
しかし若頭本人はピンク色のスーツをお召しになっていらっしゃる。なかなか笑える。TVドラマ『高校教師』(上戸彩のではなく、昔のほう)の京本正樹みたい。
閑話休題。
千代田区のそれにはチャンスがあったのだが、「サラリーマンとしての私立教員」になるフンギリがつかなかった。
俺の人生が、ある程度決まってしまうのか。
それが怖かった。
たしかに平和な日々がきっとやってくる。とても楽しい職場とも思えないけど、つらいだけの職場であるはずもない。でも、教えたいという僕の意欲が満たされるだろうか。前述のように進学率が高くないから、受験戦争を経験した僕が望むような授業は求められていない。
一番望んでいる仕事じゃない、そう割り切ることにしてオファーを蹴っ飛ばした。そうしてみても、やっぱり怖かった。僕は、ちゃんとした職業につけるのだろうか?
そしてそれ以外には常勤としてのオファーはなかった。さあ困った。さあ、どうする?
追記:このシリーズは1993年ごろの実情です。季節に1回の更新、4回で完結し
ます。
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