予備校講師でわるかったな!





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予備校講師になるまで その3 10月18日

  大学4年生の1月、卒業論文を提出した僕はA日新聞で見つけた小さな予備校の講師募集に応募する。卒業まで残り2ヶ月で、何とかしないといけない時期に来ていたのだ。

  どうやって生計を立てるか。
  とりあえず現在の塾講師の仕事を続ければ月収12万程度にはなる。それも手取りであるから、多くはないが少なくはない。実家を出るつもりも(自信も)なかったから、もう少し収入があれば問題がない。
  予備校講師というのがどういう職業なのかわからないし、収入がどの程度なのかもわからない。安定しているのかどうかもわからない。
  今になれば「悪い、まあまあ、極めて不安定」とわかっているのだが、大学生なんて広い世界に対する常識を持っていないのが普通だ。えばるようなことじゃないけど・・・。


  少し話はそれるが、なぜ自分が通ったYゼミに応募しなかったか。

1、自信がなかった。
→教員試験に落ちる程度の足りない脳みそでは望みがないだろう。さすがに「かなりの大手だよなあ」という自覚くらいはあったみたいだ。

2、募集は夏にあることを知らなかった。
→業界に入ってから知った(笑)。11月以降に募集広告を出すのは小さい予備校だけなのだ。


  閑話休題。
  ところがその予備校からの面接・試験の日取りの通知が2月になっても来ない。どうなっているんだろうか。というほどの危機感は持たずに3月を迎える。そんなものは無視して僕はオーストラリアへ2週間の卒業旅行に出かけた。

  つくづく思うが、どうしてこんなに世間知らずだったのだろうか。残り1ヶ月で大学は卒業であり、その後の身分が決まっていないのに旅行に出てしまうのである。
  若さは無知である。恐怖を知らないということである。想像力が足りないということである。「何とかなるだろう」という根拠のない自信を持つ時期であり、実際に何とかなることのほうが多い時期でもあるのだ。


  オーストラリアを存分に楽しんで帰国してみたら、親から2つのニュースを貰う。

1、予備校から連絡があった
2、ある高校の校長先生が家に来た

  予備校からの連絡は面接・試験をしたいということだった。

  ある高校とは、千葉の九十九里浜あたりにある県立高校である。名前も知らないので調べてみたら偏差値38という底辺中の底辺の学校である。話を聞いてみる。
  「教員採用試験」の主催者からか私学協会からか僕の存在を知り、非常勤講師待遇だが常勤として来てほしいということである。つまり正規採用ではないが、ズルして採用しちゃおうというわけだ。しかも「数年頑張ってくれれば正規採用扱いになるように手を回してあげる」というのだ。

  おわかりだろうか。試験に落ちた学生を拾いあげて、数年後にはコネを使って合格したことにしちゃおうという話である。その代わり、とんでもない田舎のとんでもない高校で苦労しなければならない。速い話が裏取引である。
  千葉県というのはそういう土地である。正義よりもコネが優先される。まあどの社会でも大人はみんな同じ、という感じもするけど。

  よほど教師のなり手がいない高校なのであろう。電話1本でどこのウマの骨ともしれない学生(僕のことです)の実家にやってきて、センベイの包み(←本当)まで置いていったのだ。
  考えどころである。底辺であるのはしょうがない。正規採用でも最初は誰もが同じ条件。しかし遠い。千葉駅から総武本線に乗って1時間ちょっと、まあハッキリ言って僻地である。しかし数年頑張れば(ズルして)公務員になれるのだ。

  さてさてさて・・・。


追記:このシリーズは1993年ごろの実情です。季節に1回の更新、4回で完結し ます。
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