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クッキーは人生の箱。 1月29日
  件名は城南予備校年度末恒例の「直前激励メッセージ」。
  講師やチューターがそれぞれに生徒に向けたメッセージを小さな紙(3センチ×4センチくらい)に記し、(たぶん)校舎単位で印刷して生徒様に配布するも の。横浜校の場合は、同時に文字を拡大した(30センチ×40センチくらい)ポス ター状のものをエレベーターホールなどに貼りだしている。受験直前の景気づけ のようなもので、古きよき予備校の世界とも言える。

  普通のメッセージは普通に激励である。
  たとえば「最後まで諦めるな」とか「勝利の女神は君に微笑む」とか「健康こ そが合格の秘訣」とか「がんばって、応援してるよ!」とか。そしてもちろん、 今さら念を押す意味はないと思うが、僕はそういう普通なことを書く人格を所有 しない。頭がアレなのである。だから件名なのである。けっこう目立つところに 、

クッキーは
人生の箱。

(英語 信原先生)

と出ているのである。シュールの極みであろう。スペースのわりに文字数も少な いから目立つし、しかも意味不明。


  4年くらい前だったか「チョコレートの箱は人生です」と書いたことがある。
  今年は最後ということで、どこまでも僕らしいメッセージを追求して「クッキ ー・・・」にしておいた。もちろんこれらは借りてきた比喩であり、アナグラム に似た語順の変化による言葉遊びである。映画の『フォレスト・ガンプ』で、主 人公のトム・ハンクスが「人生はチョコレートの箱」と言う。村上春樹の小説『 ノルウェイの森』では、副主人公の緑さんが「人生はビスケットの缶だと思えば いいのよ」と言う。

  ともにわかりやすい比喩である。
  好きなチョコやビスケットを先に食べれば、苦手なそれらがあとに残る。逆も 同じ。人生も同じ。悪いことが先に起これば、良いことがまだ人生の箱や缶の中 に残されている。嫌いなビスケットだけ食べ続けることはできない。


  今ここで「人生はチョコレートの箱」を念のためネットで調べてみたら、その あとに「開けてみるまで分からない」が続くそうである。
  僕が自分の中に作った記憶はちょっと違う。「人生はビスケットの缶」は困難 を抱える主人公ワタナベを励ますように緑が言うセリフであったはずだ。悪いこ とだけ、あるいは良いことだけ起こり続けるということはないという比喩だと理 解している。

  そこで僕が合成したのが「クッキーは人生の箱」である。
  音の響き(五七五七七の五七だ)を考えてクッキー。このオバカなメッセージ をみたときに、誰だって「えっ?」と思うだろう。何これ、で終わらせてしまう か、一見して意味のないメッセージに何がこめられているのか探そうとするか。 それは賢愚を分けるものではない。対象に、つまりこの場合は僕なり「クッキー 」なりに興味を持てるかどうかの違いだ。

  もし興味を持てば、語順が不自然なことはすぐにわかる。
  本来の語順を推測する ことはできる。「そうか! 箱の人生はクッキーだ!」と思った人はこのエッセ イを読んでいないと思う(頼むぜオイ)。



                人生はクッキーの箱。

  空けてみなければわからないんじゃない。
  自分の人生の箱はどれほどの大きさがあるのか想像できないことが恐怖であり 、希望である。もうすでにクッキーの箱は空けた。しかし、夢の中で見るように 、箱全体の大きさが把握できない。箱の中に自分の好きなクッキーがどれだけ含 まれているのかもわからない。嫌いなクッキーはすでに食べつくしてしまったの だろうか?

  好きなクッキーはまだ残っているのだろうか?

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